予防接種
幸村精市デフォルト名:寺本 美緒
新学期が始まって数週間が経った。
この時期、受験生である3年生のみインフルエンザワクチンの接種がある。
私立校である立海独自のものなのだろうが、ワクチン代は既に徴収されているので原則全員参加だ。
何を隠そう、私は注射が怖い。
今まで病院に行っても薬にしてもらうなど、なるべく注射を打たずに済むようにしてきた。
しかし予防接種ではそうもいかない。
小さい頃のことはあまり覚えていないが、この歳になると理屈がわかるぶんかえって怖い。
体に針を刺すなんておかしいよ。
しかも予防注射って、液を注入される時がさらに痛いし。
「熱が何度以上あったら風邪になるのかな」
予防接種の前日、精市の部屋でポツリと漏らした。
「具合悪いのかい?」
精市は心配してくれているのか、隣に来て私の顔を覗きこんだ。
それは嬉しいけれど、後ろめたいことがある私は目をじっと見られると気まずい。
「いや、今じゃなくて、明日もしもそうだったらって……」
わかるようなわからないような口上を述べながら、視線を逸らす。
「……もしかして、注射が怖い?」
ギクッとして肩に力が入る。
精市は、なんだそうか、という風に笑って柔らかい口調で諭してくれた。
「現代の注射は針も改良されてるし、そんなに痛くないよ」
「でも……」
「入院してた俺が言うんだから、間違いないだろ?」
「インフルエンザの注射は別物だよ……」
口を尖らせると、精市はからかうように私に尋ねる。
「俺の好きなタイプは?」
「……健康な人」
「ね。みんな受けるんだから大丈夫だよ」
「みんなは良くても、私は嫌……」
「何がそんなに嫌なんだい?」
「だって……痛いから」
痛覚は体を守るための正常な機能だ。
痛いということは危機なのだから、それを拒むのは当然だと思う。
「注射なんてほんの何秒かじゃないか」
「それでも痛いじゃん」
「インフルエンザにかかるよりいいと思わない?」
「思わない」
かたくなに拒否しているうちに、次第に精市の表情が険しくなっていく。
「ごねてばかりいても始まらないだろう」
「やだ、明日学校休む」
「聞きわけのないこと言わないで。仮病使ったりしたら許さないからね」
「やだったらやだ!」
勢いに任せて大きな声で突っぱねると、精市が低いトーンで発する。
「、いい加減にしないと怒るよ」
優しく言ってくれていたことに油断したのかもしれない。
気がつくと、精市の口調はもう穏やかでも何でもなく、眉間に皺も寄せていた。
ほんの1、2分前までにこやかに私を諭していたのに、なんと簡単に怒る男だろう。
「痛いのがそんなに嫌なら、痛いお仕置きをされれば言うこときくのかい?」
抵抗する間もなく、横合いから上半身を持っていかれる。
言いたい放題言い過ぎただろうか。
そう後悔し始めた時には、精市が床の上で胡坐を崩したような体勢になり私を膝に乗せていた。
「やっ……ちがっ……」
そうして、精市の手によってお尻が出された。
パチン!と鳴る音と同時に体が浮く。
「ひゃんっ……!」
痛いお仕置き、と言ったようになのか、お尻の真ん中の同じところをずっと叩かれ、痛くしてやろうという思惑が感じられる。
「いつまで駄々こねるの? ちょっと度が過ぎるんじゃないか」
床なのだからそのまま這いずって逃げ出したかったが、精市の平手はそんな余裕も与えない。
膝下にある下着が足に絡みついて暴れることもできない。
「あぅ、あっ……ああぁあっ……ぃたああいぃっ……!」
ただされるがままになって、一点を叩かれながらわめき声を上げた。
そんなに無茶苦茶なことを言っているつもりはないのに。
注射は痛いから嫌だ、と言ってるんだから、そうだね、と言ってくれたらいいじゃない。
本当はちゃんと受けるつもりだったけど、精市のせいで受ける気なくなっちゃった。
心からそう思っているなら、そのまま精市に言えばいい。
言えないということは、自分でも駄々をこねてるだけだとわかっているのだ。
目にじわっと涙が溜まる。
痛ければ涙が出るのが当然だ。
泣きたくないのに、出てしまった涙は引っ込められない。
頬に流れて顎を伝った水滴が精市の腿を濡らす。
「泣くくらいなら最初からわがまま言わない」
きっぱりと厳しく言い放たれる。
そのせいで、再び涙が落ちた。
「自分の体だろう。大事にしようと思わないのかい?」
強い口調で責められるが、今さら引き下がれない。
「自分だからわかるもんっ……私元気だもんっ……!」
精市の動きが一瞬止まったが、すぐに勢いよく右手を振り上げた。
「そういう問題じゃ……、ないだろう!」
「ああぁっ!」
強くなった語気と一緒に、力の入った平手で振り抜くようにして叩かれる。
ビリビリと走る痛みで、涙が引っ込んだ気すらした。
「……ぃ……たぁ……っく、……うぅぅうっ」
思いっきり打ち込まれた一発は、見なくても手形がついたのがわかるくらいだった。
その強烈な一打を最後に、一旦手が止められる。
「自分の意思で病気になる人なんていないよ」
精市の言葉が私にのしかかる。
私は幸いにも、大きな病気にかかったことはない。
だから注射が怖いなんて安穏としたことを言っていられるのだ。
手術をも経験した精市には、防げる病気を防ごうとしない私が、許せないかもしれない。
お尻の中央が熱くなっていくのを感じて、ツンと鼻の奥が痛くなる。
「もうのことなんて知らない。ずっと叩かれて痛い思いしてれば?」
精市を怒らせるとこれだから厄介だ。
もう参っているのなんてわかってるはずなのに、それだけでは許してくれない。
パシンッ!
「ああぅっ!」
さっきほどの強さではないものの、あの一発が消えたわけじゃない。
すっかり腫れあがったお尻に再び平手が飛ぶ。
パシンッ!
「ひああぁっ!」
一発叩かれるごとに大仰な叫び声を上げた。
そしてまた新たな一発が降ってくる。
バシンッ!
「あっう……ごめんなさいぃっ……!」
反省の言葉が、自然に口をついて出た。
「せい、ち……ごめんなさいっ……ひっく、ごめ、なさい……っ」
「俺に謝っても仕方ないだろ。予防接種、受けるの受けないの?」
さっきのようにヒュッと右手を上げられるのがわかり、身を固くして答えた。
「受けるっ……」
精市は自身を落ち着かせるように軽く息をついて、言った。
「ちゃんと受けなかったら、次は本当に怒るからね。わかった?」
こくこくと頷くと、精市は右手を下ろして私の背中を撫でた。
ずるずると膝を離れようとすると、痛みに顔をしかめてしまう。
そのままでいいよ、と精市があやすように背中を叩いた。
「まったく、素直に注射を打っていれば余計なお仕置きされることもなかったのに」
その通りだ。
予防注射を打たずに済むはずもないのだから精市に当たってもしょうがないのに、自分の浅はかさに少し呆れる。
「俺の大切ななんだから、ぞんざいに扱ったら承知しないよ?」
奇妙なジゃイアニズムを掲げれられて、喜べばいいのか笑えばいいのか。
精市が冗談ぽく笑っていたので、私も笑うことにした。
翌日、予防接種会場になっている体育館で、注射を打ち終えた精市が並んでいる私にすれ違いざま声をかけた。
「泣いてもいいから受けてくるんだよ?」
「泣きませんー!」
そのやり取りを見たのか、隣の列にいた柳がクスリと笑っていた。
<あとがき>
少し前に拍手で「注射で駄々をこねる」というネタを提供していただいた幸村話でした!
健康診断の注射ということだったので採血かな?とか思ったんですが、学校の健康診断の時期って春っぽいので、幸村が入院中でどうにも話にしづらいかなと、勝手に今の時期にして書かせていただきました。
しかし正直な話、ワクチン接種って打った後も痛いですよね。
2、3日疼くし体もだるくなるから私は苦手です。
打つこと自体は良いんですが、後遺症がねぇ。
ついでに言うと私が受けたインフルワクチンの注意事項には37.5℃以上でダメと書いてありました。
幸村自身、作中で大病してるので「駄目だこの話題、適当なところでちゃんと謝らないと幸村がキレそう」と思って、慌てて収拾つけました(笑)。
今回の幸村さんはぐずるちゃんになかなか付き合ってくれた方だと思うんですが。
普段はわがまま言っても優しくしてくれると思うんですよね、彼も。機嫌を損ねない限りは。
12.11.04