いっしょに帰ろう

白石蔵ノ介

二年生 四月
デフォルト名:小松 絵里



「やっぱり蔵の部屋は落ち着くなぁ。自分の家より居心地ええわ」
 は白石よりも先に、ローテーブルの前に腰を下ろした。
 コンビニの袋から出したチョコレートを早速開封している。

 部活後、少しでも一緒にいたい。
 そう甘えるの要望に応じ、二人の時間は毎日作るようにしている。
 学校で一日中を共に過ごしているが、に言わせると二人きりになることが重要らしい。
 白石も向かい側に座ると、がチョコレートの箱をスッと差し出してきた。遠慮なく一粒をいただく。
 はまるで自分がその味を堪能したかのように嬉しそうに微笑んで「おいしい?」と首を傾けた。
 放課後デートはのリクエストで始めた習慣であるが、白石にとっても大事な時間だ。

 白石はこの春から、二年生ながら部長を任されるようになった。
 持ち前の責任感とテニスにかける強い思い、加えて仲間たちのサポートのおかげもあり、苦に感じることはない。
 なにより、の存在が日々の疲れを癒してくれていた。

 ひとしきりお菓子パーティーを楽しんだ後、は白石に寄りかかりながら、あんなー、と語りだす。
「昨日、帰りが遅いって言われてん」
「そうか。ほんなら、今日は早よ帰らなあかんな」
「ちゃうねん!」
 は愚痴を聞いて欲しいだけのようで、口を尖らせながら白石にしがみついた。
「私はもっともっと蔵と一緒におりたいんやって」
「俺かて、とおりたいで。せやけど帰る時間は守らな」
 白石は柔らかく諭すが、はいじけるように膝を抱き、その上に顎を乗せた。
「お兄ちゃんも弟もそんなん言われへんのに、お母さん私にだけうるさいねんで」
「そら、は女の子やからな。心配されてるんや」
「もう中学生やのに?」
「いくつでも、女の子には危険が多いやろ」
 白石がサラリと髪の毛を撫でれば、納得していない様子でが唸った。
 
「それにしてもんとこ、厳しいんやな。結構早く帰してるつもりやってんけど」
「んー、つい寄り道してもうて」
「寄り道? あの時間からか?」
 白石が目を丸くする。
 玄関で見送ったあとは自宅へ向かっているものだと思い込んでいた。
「だって蔵の家の近所、気になるお店多いねんもん」
「それは俺も心配やわ。まっすぐ帰らなあかんで。明るい時間に一緒に行こうや、な?」
 案じる白石をよそには気楽な調子で、それもええなーと言った。
 それから体を倒して寝っ転がり、空でも眺めるかのように天井を仰ぎ見る。
「なんでいっつも私ばっかり怒られんねやろ」
「せやから大事にされてるんやて。一人娘やからな」
 ひとりっ子でなくても、他が男であれば『一人娘』なのだろうか。白石は自身の発言に対してぼんやり考えた。
「そんなことないよ、男らと同じ扱いやもん。女の子やからって贔屓されへんで?」
 上下に異性の兄弟を持つという点で、二人の境遇は似通っていた。
 言われてみれば自分も、ひとりだけ男だからといって配慮されることはない。むしろ姉や妹から良いように使われてばかりだ。
 白石は自身の生活環境を省みて苦笑した。
「体罰とかも容赦なかったでー。小さい頃しょっちゅうお尻叩かれててんから」
「やんちゃな子やったんやろなぁは」
 そう見える? とが尋ねると、白石が笑いながら頷く。
「とにかく、今日はもう帰ったほうがええな」
「ええ~、まだ早いやん」
 が頬を膨らせて不満を露わにする。
 やんちゃな駄々っ子なのは今も変わらないと、白石は小さく笑った。
「注意されたとこなんやろ? 言うこと聞いとかな、外出禁止になってまうで」
「もー、言うことがオカンやねんから」
 視線を合わせようとしないの顔を白石が覗き込む。
「今日は途中まで送ったるから。ほんならもうちょっと一緒におれるやろ?」
 しぶしぶ頷くの頭を柔らかく撫でた。
 
 
 部活を終えると、すでに外は薄暗闇だった。
 四月といえど、夕方はまだ肌寒い。
 駐輪場へ向かう途中、首元を隠すように制服を引っ張っているに白石が声をかけた。
「結構暗なったな。どうする? 今日はまっすぐ帰るか?」
「せっかくの金曜やん、もうちょっと一緒におろうや」
 明日も部活で会えるのだが、の気持ちもよくわかる。
 少しだけなら、と白石は自室に招き入れることにした。

「財前くん入部してくれるかな?」
「あと一押しってとこやな。その気にはなってるんやろうけど」
 強豪テニス部であるにもかかわらず、今年の入部希望者は未だゼロだ。
 初めての後輩を楽しみにしていた二年生たちは、新入部員を獲得しようと躍起になっていた。
 白石たちの間では顔を合わせるたび一年生一年生と、その話題で持ち切りである。
「今日も見学来てくれてたもんね」
「せやな。おかげでみんな張り切っとったわ」
「ちょうどレギュラーは得意技練習やったしなー」
 チラリと時計を見る。
 いつもより15分ほど長く喋っていただろうか。
 早いうちに帰してやらないと、家でまた小言をもらってしまうだろう。
、そろそろ帰ろか」
 そう呼びかけるも、は首を横に振り、ねだるように白石を見上げる。
「今日は遅くまでおるって決めてんねん」
 は喋り足りないようだ。
 先輩の得意技をユウジがこっそりモノマネしていた話とか、走り込みで謙也の速さにギャラリーができていた話とかを、まだしていたいのだろう。
「続きは明日、部室でみんなとしようや」
「いややっ、みんなともするけど、蔵と二人でもしたいの!」
 素直な訴えについ折れてしまいそうになるが、ここで聞き入れるわけにはいかなかった。
 
 四天宝寺は笑いを大事にする学校だ。
 辛いときや苦しいときも、楽しく乗り切ることを信条としている。
 だが、自由と無秩序とは似て非なるものだ。
 笑いは不真面目から生まれるものではない。
 何事にも緩急は必要であり、いざというときにきっちりやるからこそ抜きの部分が活きてくるのである。
 に対しても、望み通りに何でも「ええよ」と言ってやりたい気持ちは山々だ。
 しかし部を引っ張っていく立場になった白石は、これまで以上にメリハリをつけなくてはならないと強く意識していた。
 それはもちろんの気持ちをできる限り尊重した上でだ。
「言うたかて、暗なってまうで」
「明日休みやのに? 遅なってもええし」
「そういう問題やないで。帰り道が危ないやろ」
「大丈夫やって」
 控えめに説得を試みるが、はまるで聞く耳を持たない。
 いつもの小言だと受け流されているのだろうか。
「あかんで、今日はもう帰りや」
「なんでそんなに帰らそうとするん?」
「俺は心配してるんやで」
「ええやん、もうちょっとだけ」
「あかん」
「いやや、まだおる」
 は腰掛けていたベッドから降り、白石愛用のヨガマットまで這っていく。
 そこで体育座りになって背中を向けてしまった。
 こうも愚図られては、白石は溜息をつくほかない。
「帰らなあかんって、ほんまはわかってるんやろ?」
「わかれへん」
「わがままばっかり言わんといて、子どもやないねんから」
「子どもでええもんね」
 はツンとそっぽを向く。
 すっかりふてくされてしまったらしい。
 
 これでは埒が明かない。
 白石もベッドから離れ、腰に手を当てての背後に立つ。
 そして少しだけ語気を強めた。
、帰る準備しぃや」
「いーやーや、帰れへん」
「いい加減にしなさい。ほんまに怒るで?」
「蔵なんか怒っても怖ないもん」
 は挑発的に言い放った。
 
 それを受けて白石は小さく眉間に皺を寄せ、しばし黙り込む。
 ややあって、彼はひとつの決断を下した。
「……ええんやな、そんなこと言うて。後悔しても知らんで?」
 は振り返り、少しだけ表情を強張らせた。
 若干怯んでみせたものの、強気な姿勢は崩さず顔を上げる。
 白石はおもむろに腕を組んだ。
は悪いことしたらどうされたんやった?」
「え……?」
「お尻叩かれたんちゃうん?」
「……えっ、嘘やん、蔵ちょっと待ってっ……!」
 ようやく事態を把握したが、血相を変えて後ずさった。
「聞き分けのない子にはお仕置きや」
 逃げようとするの腰を捕らえて抱き上げる。
 手足をばたつかせるのにも構わず、ベッドまで引き戻した。

 やるからには容赦しない。
 膝に乗せ、子どものお仕置きとして誰もが思い浮かべる姿勢を取らせた。
 そして制服のスカートをガバッと捲り、露わになった下着を思いきって下ろす。
 が「ぎゃあ」と色気のない声を上げた。
 そのままの勢いでまずは一発、平手を打ち込んだ。
「痛あっ! いやっ、蔵ぁっ……!」
 すぐに手が伸びてきた。その手を払い、二発目、三発目を打つ。
 四発目へ行こうと左手を振り上げたとき、が身を翻したのを慌てて抱え直した。
 やむなく一旦手を止める。
「じっとしなさい」
「いややぁっ、こんな、子どもとちゃうのにっ……!」
「さっき自分で子どもや言うてたやろ」
 言うてへん! とは首をぶんぶん横に振る。
「お仕置きされな言うこと聞かれへんねんもんな?」
「聞くっ! 言うこと聞くからぁっ!」
 は再び左手を伸ばして尻を庇う。
 それを掴んで腰の上に軽く押さえ、平手を振り下ろした。
「あぁっ! うっ、あぅっ……!」
 全身に力を込めていたようだが、それも長くは続かない。
 押さえていた左手の抵抗はすぐになくなった。
「ごめんなさいっ、蔵ぁ、ごめんなさぁいぃっ!」
 想定していたよりもずっと早く、ごめんなさいの言葉が飛び出した。
 元来、彼女は素直な性格なのだ。
 たまに甘えるくらいのことは許してあげたいが、身の安全が第一だ。
 帰りが遅くなって、に危険が及ぶようなことだけはあってはならない。
 心を鬼にしてまた平手を落とす。
 尻を叩かれるとは思わなかっただろうから既に充分悔いてはいるだろうが、心から反省してもらうにはもう少々お灸を据えたほうがよさそうだ。
 叱るときには叱るのだということをわかってもらいたいし、自分自身、そうありたかった。
 
「ごめ、なさぁいっ……! うあぁんっ……ごめな、さっ……いぃっ……!」
 一発一発をしっかり打った尻はほんのりとピンク色に染まっていた。
 これで懲りたことだろう。
「悪い子はこうなんねんで。わかったな?」
「わかったぁっ……ぇぐ、ごめんな、さぁいっ……!」
 白石は表情を緩ませ、泣きじゃくるの後ろ頭をそっと撫でた。
、俺はやから本気で怒るんやで。大事やなかったらこんなことせぇへん」
 ぐずぐずと鼻をすすりながらも、はじっと耳を傾けてくれているようだ。
の言うことはできるだけ聞いたるから。たまには俺のお願いも聞いてな」

 うんうんと数度頷くに白石は顔をほころばせる。
 そして仕切り直すように背中へ手を置いた。
「ほんなら最後に10回、ちょっと痛いのいくで?」
 がビクンと跳ね、再び全身を硬直させる。
 白石の腿をグイグイ押して上半身を起こそうとするのを、すかさず引き寄せた。
「えっ、なんでっ……! 終わりちゃうの!? なんでぇっ……!」
「反省のためや」
 そう告げ、左手を大きく振り上げる。
 バチンッ! と肌を打つ音が景気よく鳴り響いた。
「痛あぁっ!! いやっ! 蔵、痛いっ!!」
「当たり前や、痛くしてんねん」
 取り乱すの声は気に留めず、同じ威力の平手を落とす。
「ひああぁっ!」
 小さな子どもではないのだ。今のにとってはこれくらいでないと効かないだろう。
 多少は痛い目を見てもらって、きっちり反省する時間にしたかった。
 一度はおさまったように見えた涙を先ほど以上に溢れさせるは大暴れだったが、尻を叩くだけなら怪我もさせまい。
 この10発だけはいくら泣かれても、厳しく打ち据えると白石は決めていた。

 最後の一発を終える。
 尻は赤みを帯びているものの、深いダメージは負っていないようだ。
 白石は安堵の息をつく。
、終わったで」
 下着を上げてやりながら言うと、が胸に飛び込んできた。
 顔を埋めてわんわん泣く様はまさに子どもだったが、すっきりするまで泣けばいい。
 白石はただただ、背中を撫で続けた。
 
「すっかり遅なってもうたな。俺も家まで行って、一緒に謝ったるから」
 早く帰らせようとして至ったお仕置きが、結果的には暗くなるまで引き止めることになってしまった。
 本末転倒のようだけれど、今後のためになるのなら必要な時間だったと言えるだろう。
 しかし、腕ずくになってしまった感は否めない。
 もう少しに寄り添える形で解決できないものか、まだ白石は考えていた。
 宙を眺めながらを撫でていたが、視線に気づき目を落とす。
「落ち着いたか? ほんなら出よか」
 は少し恥ずかしそうに口を尖らせる。
「……お尻叩いてて遅なったなんて言わんといてや?」
「もちろん、言わへんよ」
「二人だけの秘密、やで?」
 が赤くなった目を上目遣いにして、にやけさせた口元に人差し指を当てた。
 切り替えが早いというか何というか。
 白石はの頭を撫でて頷く。
 あきれたような笑みは、彼女の小悪魔的な仕草にこの上ない愛しさを感じてしまった自分に対するものだった。
 
 
「みんなちょっと聞いて!」
 翌朝、同学年のメンバーが部室に集まったところで、は演説でも始めるかのように声を上げた。
「蔵ってば昨日、私のお尻叩いてんで! ひどない?」
 二人だけの秘密ではなかったのか。
 まったくの考えていることはわからない。
 白石は苦笑いで頬を掻いた。
「そこまでのわがまま言うたんか」
「どんだけ白石を困らせたら気ぃ済むねん、
「お前も苦労するな、白石」
 かばってもらえることを期待しての発言だったのだろうが、彼女の思惑に反し部員の誰もが白石の肩を持つ。
 同情の声が次々に白石へ掛けられた。
「なんで私の味方おれへんの!?」
「どうせに原因があるんやろ? 何をしてん」
「えーっと、蔵の家おって、暗くなる前に帰りやって言われてんけど、いやや帰れへんってごねてたら怒られた」
「そらが悪いやんな」
「ほんで、『本気で怒ってくれるとこにめっちゃ愛情感じるわぁ~』って前から言うてたやないか」
「……言うたけどぉ」
 は不満そうにむくれていたが、次第に頬を緩ませていく。
「ま、そうやな。愛情はめっちゃ感じたわ。私だけ特別って感じやし?」
 そう言い、照れたように顔へ両手を当てた。
「……単純なヤツやな」
「素直って言うてや」
 部員たちとのやりとりを聞いていた白石が、後ろからの肩に手を置く。
「もうわかったもんな。お仕置きなんて必要ないやろ?」
「もちろんやん。ずっと一緒におりたいけど、ちゃんと愛されてるってわかったから大丈夫やで」
 その無邪気な笑顔は本心からのようだった。
 白石もまた微笑み、の肩をポンポンと叩いた。

 帰りの駐輪場で、白石は改まった様子で口を開く。
「昨日から考えててんけど、これからは家まで送るわ」
 自転車のロックを外そうとしていたは、手を止めて顔を上げる。
「毎日? ……嬉しいけど、蔵も疲れてるねんから無理せんでええで?」
 は一度声を弾ませたが、直後落ち着いた様子で白石を気遣うような表情を浮かべた。
 彼女の心くばりに、白石は目を細める。
と一緒に帰りたいねん。俺のわがままや」
 そう言うと、は照れたように笑って「ほんならしゃあないな」と冗談ぽく返した。
「せやったら、これからはだいたいウチでデートやんな。部屋の片付けのやる気出てきたわ」
「気にせんときや。それこそ無理せんでええから」
「あかんあかん、乙女心やで! 彼氏呼べるきれいな部屋にせな!」
 笑顔をはじけさせるの頬を、白石がそっと撫でる。
「蔵の手、ぬくいなぁ」
 は自身の手を上から重ねて小さく握り、さらに笑みをこぼした。
 
 
 
 
<あとがき>
 ようやく白石の初回エピソードが書けました!
 原作の一年前、四天テニス部に新入部員が入ってこない! というのはアニメOVAであったネタですね。公式設定ということでいいのかな。

 ちゃんはえげつないほど可愛い子ってイメージで書いています。学校一レベル。そりゃそうでしょ、白石の彼女だったら。
 きっと付き合い始めたとき、白石は学校中の男子から「はぁ!? 白石お前、硬派なフリして結局は顔かいな!」と大ブーイング受けたことでしょう。

と付き合えるとか、めっちゃ羨ましいわあ~!」
「あいつやったらしゃあない、完敗やわ」
「正直俺が女でも白石選ぶもんな」
「ほんまやで。言うとくけどな、の彼氏は白石クラスやないと認めへんで、俺は」
「お前はのなんやねん」
 そういう会話が教室の男子たちの間で繰り広げられているかもしれない。

 白石夢は詳細な日付を設定していません。これは二年生のときのお話。
 以前に書いている『お片付けに特効薬を』も二年っぽいですね。
 時系列には組み込んでいませんが、実は立海勢といずれ合流する予定です。


20.01.14 UP