Secret -遅刻の話を今さら持ち出されても-

幸村精市

9月1日(月)
デフォルト名:安達 晴香



 学校生活で一番解放的になる時間は、お昼休みかもしれない。
「そうだよ、ソフトSMとか結構楽しいんだから」
 教室でこんな話をするってどうなんだ。
 友人の言葉に少々思いつつ、ご飯を口に運ぶ。
 楽しいお弁当の時間は、クラスメイト二人の惚気話に支配されていた。
 新学期早々、羨ましくて溜め息が出る。
 
 彼氏なら私にもいるのだ。
 それも、強豪テニス部部長という偉大な肩書を持つ男である。
 
 しかしこの夏、いや、去年の冬からか。
 精市が難病にかかって以降は、二人の時間を楽しむどころではなかったというのが正直なところだ。
 それについてはもう良い。手術が成功して何よりなのだから。
 8月にはテニス部の全国大会も終わりを迎えて、ようやく落ち着きを取り戻しつつある。
 私だってこれからは、精市と楽しく過ごしてやるんだからな。
 彼女らは争うように話題を繰り出す。彼氏とねー、デートでねー、と嬉しそうだから、今は大人しく聞いてやろうじゃないの。
 
「ねぇねぇ、ってS? M?」
 はしゃいだテンションのまま、友人は私にも話題を振ってきた。
 特にどっちにも属さないと思うのだが、話に水を差したいわけじゃない。
 こういうのは深く考えずに答えるのが吉だ。
「うーん、どちらかっちゃ……M、かなあ」
 適当に返すと、二人して懐疑的な声を上げた。
はMじゃなくない? 尽くすタイプでもないしさ」
「人の言うこと聞かなそうだよね」
 尋ねておいて何なんだ。私ってそういう印象なのか。
 仲の良い友人が言うんだから、まんざら外れてないのかもしれないけど。
「まあ失礼な、Mかなって答えただけでそんなに言う?」
 ジロリと視線を向けても、彼女たちはカラカラと笑うだけだ。
「悪い意味じゃないってば。ほらは芯があるっていうか」
「そうそう。幸村くんは優しくて儚い感じだし、お似合いじゃん?」

 一面的に見ればそうかもしれない。
 だが、穏やかなだけじゃないのが精市だ。
 テニスが桁外れに強く、線が細いようで意外と力もあるという、そこはかとない凄みも魅力のうちなのだから。
「……優しいってのは否定しないけど」
 無理もない。彼女らはテニス部部長としての威厳ある姿を見たことがないのだ。
 精市の真剣な表情に、どれほどドキドキさせられることか。
 それを知っているのは、まぁ、私だけでいいんじゃないだろうか。
 
「てか、はどうしてテニス部のマネージャーやらないの?」
「そりゃ、付き合う前に他の部活入ってたからだよ。テニスあんまり詳しくないしね」
 もちろんテニスをする精市を見るのは好きだ。男テニは休みが少ないから、マネージャーになれば一緒にいられる時間も増えるだろう。
 とはいえ、放課後はテニス部が終わるのを待ってまで一緒に帰っているし、毎日精市の家に寄っているのだから充分だ。
 わざわざ転部というのも悪目立ちしそうで気が引ける。
「ドライだなぁ
 私としては、部長とマネージャーという立場でいるよりも、二人きりになる時間のほうが貴重なのだ。


***


 今日もいつも通り部屋に上げてもらった私は、お決まりの場所に鞄を置いた。
 精市をチラリと見上げる。 

 SかMか、ねぇ……。
 恋人は優しいほうがいいに決まっている。
 しかし精市の少々強引なところだって、実は嫌いじゃない。
 だからこそ、どちらかと言えばMじゃないかと自分で思っているのだけど。

 まじまじ見つめていると、精市に微笑みで返される。
「どうしたの、
 座ったら? と促され、ベッドに腰を下ろす。マットレスがミシッと軋んだ。
「精市って、SかMかならSだよね?」
「何だい急に。してみたい?」
「そういうわけじゃないよ。今日、ソフトSMがどうこうって話を友達としてね」
 精市は小さく笑って、私の隣に座った。
「今どきはSMも、わりとノーマルになってきてるよね」
 そんなものだろうか。
 精市はスマホを取り出し、何やら検索を始めた。
 
 お互い思春期なのだから、こういうのに関心を持ったっておかしくないはず。
 わずかに気恥ずかしさはあるものの、精市の前で顔を赤らめるほどのことでもない。
 好奇心に従って、横から画面を覗いた。
「こういうの?」
 精市が指さす先を見てフリーズする。

 写真の女の人は、後ろ手にされて関節が外れそうなくらいきつく縛られていた。
 腕だけにとどまらず、体が海老反りになるよう縄で拘束されている。
 そして、洗濯バサミのようなもので……その、いろんなところを挟まれていたり。

「いやいや、やらないよ?」
 首を横にぶんぶんと振った。
 私の反応を見た精市はクスリと笑う。
「俺も、あんまり興味ないんだ」
 その言葉に一安心する。
 よかった、実践するつもりではないらしい。
「同じSMなら鞭の方がいいかな」
 そう言って精市は満面の笑みでこちらを見つめてきた。

 そうそう。あなたはそういうタイプでしょうよ。
 “飴と鞭”って言葉がとっても似合う部長さんだもの。
 イメージに合ってるわと一人頷く。精市に目をやれば、まだ私を見てニコニコしていた。
 当たってほしくないが、なんとなく直感する。
「……ちょっと、まさかやろうとか言わないよね?」
「嫌かい?」
「だって、鞭って……痛いんでしょ?」
「痛いだろうね」
「無理無理無理! だってこれ……!」
 画面をスワイプして、端に映っている写真を指す。
「こんな、背中みみず腫れになってるじゃん! 素人がやることじゃないって!」

 まくし立てるように必死で反論する。
 精市がやる気になっていたら大変だ。説得できる自信がない。
 しかし、精市は案外すんなりと折れた。
「そうだね。俺だって、の体に傷を付けたくない。じゃあ……これは?」
 言いながらおもむろに指さしたのは、私にも理解できるものだった。

 男性の膝の上に、女性が横たわっていて。
 スカートが捲り上がり、パンツが足首に引っかかっている状態で泣く女性と、右手を振り上げる男性。
 ううん、そんなまどろっこしい言い方しなくてもいい。

 まるっきりお尻ペンペンだ。
 縄とか鞭とかそういうのなら、知らないふりもできる。
 でも、これは説明されなくたって連想できてしまう。
 一瞬のうちに、頭の中でこの写真を精市と自分に置き換えて、勝手に顔が熱くなった。

 すぐ隣にスパンキングという文字が見え、聞き慣れない単語に首を傾げる。
「スパンキング……?」
「調べてごらん」
 教えてくれないんだ。
 手を伸ばして自分のスマホを取り出し、スパンキングと入力する。

"体罰・性的嗜好によりお尻を平手で叩くこと"

 予想通りの文字列が表示される。
 精市は、頬を引きつらせる私と検索結果を横目で見て、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「してみる?」
 まったく躊躇のない口振りである。
 小さな溜息が自然とこぼれ出た。
「……精市は女の子を理不尽に痛めつけたいの?」
 何もしていないのに叩かれるなんて無茶苦茶だ。了承できるわけがない。
 脱力感に苛まれながらスマホを置き、もう一度溜息を吐く。
 
「体罰、か」
 精市は出し抜けに私の前髪を撫でる。
「この前、待ち合わせに遅刻してきたのは誰だっけ」
「えっ……」
 ドキリとして体が固まる。
 突然何を言い出すのかと顔を上げると、精市が目を細めた。
「そういえば、まだごめんなさいも聞いてないな。なるほど、は悪いと思ってなかったんだね」
 そんなこともあったかもしれない。
 でも、あのときお咎めなしだったのに今さら何を言ってるんだ。
「お仕置きとしてスパンキングしようか」
 精市はわざとらしく腕を組んで、勝ち誇ったように微笑む。
 あぁ、こいつに付け入る隙を与えるんじゃなかった。
「待って、謝るから、この通り! ごめんなさい!」
 勢いよく頭を下げる。プライドもへったくれもない。
 精市と付き合っていくにはそんなもの邪魔でしかないのだ。
「少し遅すぎるんじゃないかなぁ」
 このやろう、楽しそうに笑ってんじゃないよ。
 
 だめだこりゃ。私の手には負えない。
 謝ってる人間を、こうもあっさり突っぱねられるものだろうか。

 精市は柔らかい笑みを浮かべつつ真剣な眼差しを向けてきた。
「どうしてもやめたくなったらすぐやめるからさ」
「そんなこと言ったって……」
「約束するよ」

 こういうとき、いつも思う。
 私はなんでこんな男の彼女をしているんだろうかと。
 そして自問自答はすぐに終わるのだ。
 だって好きなんだから、しょうがないじゃない。

「じゃあ、おいで」
 まだやるなんて言ってないのに、精市が私の腕を引っ張る。
 真横に座っていたから逃げようがない。
「まっ、待ってよ……!」
 身体を倒されたかと思えば、目の前にはベッドのマットレスだ。その距離15センチ。
 またたく間に、子どものお仕置きのような膝の上スタイルにされてしまった。
 いてもたってもいられなくて、身体中がそわそわしてくる。
「あの、これ恥ずかしい……」
「そうも言ってられなくなるよ」
「ていうか私、やるとは言ってないんですけど」
 おそらく正論である私の抗議を無視して精市が続ける。
「本当に無理だと思ったら、ストップって言うんだよ」
「……それで絶対に止めてくれる?」
「うん。安心して」
 ああもう、こうなったらヤケだ。どうにでもしてくれ。
 しばらくの間、精市の好きにさせてやればいい。
「…………わかった」
 覚悟を決めて、体をまっすぐに戻した。
「痛いって言ってもいいからね」
「言ったらやめてくれるの?」
「ううん。そうなんだ、って思うだけ」
 なんだよ、もう。そんなデータ取ってどうするつもりよ。
 無理に後ろを向くのも疲れたので、頭を下げて精市が始めるのを待つ。
 フッと風が起こり、右手が上げられたのがわかった。

 パシンッ!

 はじめに音だけが聞こえた。
 そして感覚はお尻に移り、何か当たったような気がしただけだったのが、次第にピリピリする痛みとなってやってくる。
「痛いっ! 痛い痛い痛い!」
 あまりの痛さに、許可したことを後悔しながら必死に膝から逃げようとするが、精市が押さえるせいで嘘みたいに動けない。
「言っただろ、やめないって」
 いやもう、これは無理だ。予想以上に痛い。
 一発で充分お仕置きになっている。
「ねぇもういいでしょ!」
 首だけを捻り、精市に向かって声高に訴える。
 が、何食わぬ様子で目を見返された。
「反省してる人がそういうこと言うのかな」
 それを言われると弱い。
 うぐっ……と言葉に詰まり、とりあえずの謝罪をする。
「……ごめんなさい反省しました」
「じゃあ、お仕置きを受けようね」
 非情な一言のあと、パンッ! とまたひとつ打たれた。

 なんだその八方塞がりな理論は!
 これじゃ打つ手なしじゃないの。
 反論してもダメ。
 素直に謝ってもダメ。
 おかしいでしょ、これ。

 パシンパシンと叩かれるたび、短い声が漏れてしまう。
 お尻を叩かれることがこんなに辛いなんて知らなかった。
 できることなら、知らないままでいたかったものだ。
 恨みつらみの気持ちを込めて、精市の制服をぐいぐい引っ張る。
「ごめんなさい、ごめんなさいってば!」
 すると手が止められ、精市が顔を覗き込んできた。
「痛いから言ってるだけだろ?」
「……そりゃ、そうだよ」
「それじゃあ終わりにできないな」
 薄っすらとした笑みを残して精市の顔が遠のく。
 えぇぇ、と首を垂れている間に再び平手打ちが始まった。
「もう、謝ってるんだから許してよっ……!」
「それが謝る態度?」
「っ………」

 そう言われればそうかもしれない。
 怒られてるときに、謝ったんだからさっさと許せ、なんて言えば反省の色がないと判断されて当然だろう。
 精市はそういうことを言っているのだ。
 ああ完全に理解した。
 私の反省が伝わるまでお仕置きは終わらないというわけだ。
 なんだ精市ってば、意外とまともなことを言うじゃないか。

 となると私は、反省の気持ちを伝える方法を考えなくてはならなかった。
 人間には言語があるのだ、使わない手はない。
 ただ、言葉を紡ぐには結構頭を使う。
 まずはお尻を叩くのを一旦止めてもらわないことには、どうにもならない。
「あのっ、待って、精市っ……ちょっとだけ待って……!」
「どうかした?」
 よかった、止めてもらえた。
 このままずっと叩かれ続けるんじゃ、と思っていたから、少しでも休憩できることにホッとする。
「何もないなら続けるよ」
「ちょっと待って! あのねっ、精市……」
 身をよじって精市を見上げ、とりあえず次の一打を阻止することに成功する。
 ここからが肝心だ。深呼吸をして、慎重に言葉を選ぶ。
「遅刻して……本当にごめんなさい。私、精市が怒らないのをいいことに、ちゃんと謝ってなかったよね。もうしないから、絶対気をつけるから、その……許して、ください……」
 うん、言うべきことは言ったはず。
 これで引き下がってくれるんじゃないだろうか。

「ねえ。ここで許されたら、は本当に懲りるかな」
「………………」
 これは楽観できない情勢だ。
 何だか終わりそうな様子ではない。
「遅刻しても謝ったら許してもらえるし、次もまぁ大丈夫かなって思わない?」
 ……正直、思うかもしれない。
 頭の中でそう考えながらも、口にはせず成り行きを窺う。
「お仕置きってね、今後に活かすためにあるんじゃないかな。きつく叱られたら、二度としないようにしようって骨身に染みるだろう?」
 悔しいが精市の弁に納得してしまう。
 確かに、こんな目に遭えば心の底から後悔する。
 言いたいことがなんとなく飲み込めてきた。
「そう……だね……」
「わかったかい。じゃあ続きを始めよう」

 平手が再開された。
 打たれる度にお尻の輪郭がはっきりしてくるような感覚だ。
 ジンジンと熱い疼痛が迫ってくる。
「っ、ごめんなさい……、ごめんなさいっ……」
 お尻を叩かれながらごめんなさいと言っているうちに、だんだんと本当に叱られているような気分になってくる。
 いや本当に叱られているのだ。
 遅刻したことは事実なのだから。

 ちゃんと反省しよう。
 遅刻は良くないし、それを繰り返してもいけない。
 きっちり謝って、次からしないと約束する。
 何もおかしなことじゃない。
 精市はそれの、手助けをしてくれているだけなのだ。

 私は謝罪の機会を与えてもらったことに感謝すべきだ。
 これでもう遅刻はしないだろうし、過去のことで胸を痛めることもないだろう。
 ありがとう精市、そしてごめんなさい。

 私の懺悔が伝わったのだろうか。
 バシン! と一発高い音が鳴ったあと、手が止まった。
「まぁ、今日はこのくらいにしておこうか」
 横目で精市を見ると、満足そうな笑みをたたえていた。
「……許して、くれるの?」
「反省できたみたいだからね」
 ようやくの解放に深く息を吐く。
 そして、伸ばした手の甲で患部に触れてみた。
「……熱い。痛い」
「そんなに強く叩いてないんだけどな」
「嘘だぁ、めちゃめちゃ痛いよ?」
 お尻を擦りながら精市の膝から降りた。
 スカートの上から手を当てても、熱くなっているのがわかる。

 しつこくお尻を気にする私に精市が笑いかけた。
「これからは悪いことをしたらお仕置きだね」

 返事の代わりに苦笑いをしてから、ふと気付く。
 そういえば。
 私たちはSMプレイをするしないと話してたはずなのに、いつの間にこういう展開になったのやら。余計な話題を振らなければよかったと後悔するばかりだ。
 真っ当なお仕置きであっただけに文句も言えない。
 しょうがないだろう、悪かったのは私だ。
 とりあえず素直に反省しておくか。

 ジッと睨んだつもりだったけれど、精市は実に機嫌よく私の頭を撫でてきた。
「これくらいなら結構平気そうってわかったよ」
「全然平気じゃないって」
「その割に、ストップとは言わなかったじゃないか」
「それは……」
 言葉を続ける前に、たちまち小っ恥ずかしくなって顔を伏せる。
「精市が、言うことなら……ちゃんと聞きたいって思うし……」
 結局のところ、そうなのである。
 精市に惚れている限り、私は到底、彼に逆らえっこないのだ。
 言い終えてから視線を上げると、こぼれるような笑顔の精市がいた。
 そして、私の肩を抱き寄せる。
「まったく、可愛いなぁは」

 ……なんともずるい。
 こんな風に出られたら、……もう何も断れなくなっちゃうっての。




<あとがき>
 ずっと温めていた「カーっ気ある幸村とそれに付き合わされるノーマル彼女」とシリーズをついに始めました。
 コンセプトとしては「怒らず叱る幸村」ということで、あまり怒りの感情を前面に出さないカー幸村になりそうです。
 私は怒ってる幸村も好きなので、マネージャーの方の幸村夢ではそういうのを書いておりますが、微笑みながら諭すように叱る(でも力はべらぼうに強い)、というのも萌えるな、と思って書き始めた次第です。
 
 実はこの二人のスパそのものだけでなく、周囲の環境のほうも楽しんで書きたいなと思っています。
 
 SMとスパは別物であり、幸村もSMをする気はないのでしょうが、スパ人が一般人にこの手の話をする際の導入にSM話は鉄板かなと思いまして。
 ただのきっかけでございますので、あしからず。

 この辺ではさん、交渉の余地があると思ってる感。
 というかそのあたりに一応の同意関係ならではの雰囲気を出せればいいなとか思ってます。
 
 
18.04.15 UP