carelessness

白石蔵ノ介

デフォルト名:小松 絵里



 いつもの放課後、が3年2組の教室を覗いて手を振った。
 それに気づいた白石は鞄を置いたまま、小走りでの元へやってくる。
 これから部活へ行こうというのに何も持ってこない。
 が疑問を抱いていると、白石がポケットをチャリ、と鳴らした。
「今日、部長会やねん。悪いけど、鍵開けといてくれるか?」
 通常、部室の開閉は白石が行っている。
 しかしこのような用事がある日は、一時的にが任されることもあった。
 この頃は鍵の管理も厳しく、部活前に職員室まで取りに行かなくてはならないのだが、白石は事前に準備してくれていた。
 流石、気の利く部長である。
「ええよ。すぐ終わるんやろ?」
「たぶんな。30分くらいちゃうか」
 は鍵を受け取って、キーホルダーのリングに指を通した。
 手すさびに揺らすと、グルングルンと回転して手から滑り落ちる。
 そんな一人遊びを見て、白石が笑みをこぼした。
「飛んでったらえらいことなるで」
 ほんなら頼むわ、と白石は机へ戻っていった。

 鍵を持たされると、少し特別な気分になる。
 自分がいないと開けられない、みんなが自分を待っている。
 そんな気持ちが沸き立つ。
 ただ扉を開けるだけの話だが、一つしかないものが自分の手にあるというのは誇らしいものだ。
 部室の前で鍵を取り出したとき、校内放送のチャイムが響いた。
『部活動中の生徒にお知らせします。先月の遠征費について、届け出をしていない部はすぐに提出してください。今日が締め切りとなっています』
 やばっ、と呟いたは、慌てて開錠し中に入る。
 急がなければ、遠征費の援助がなくなってしまう。
 日誌に挟まれた書類を掴むやいなや、バタバタと部室を飛び出した。
 鍵のことは、既にの頭から消え去っていた。

 提出を終えたは、早々に部長会を終えた白石と出くわした。
「放送のアレ、出してきたん?」
「出した出した、セーフやで」
「危ないとこや、いつもギリギリやねんから気ぃつけな」
 あきれ顔で笑ってたしなめながら、白石は肩のテニスバッグをかけ直す。
「ほんで、鍵ありがとうな。預かっとくわ」
 白石は手を出すが、の表情が固まる。
「……どっかに置いてきたんか?」
「えっと……」
 書類に気を取られて部室に忘れてきたのかと白石は考えたようだが、が口ごもる。
「わからへん……」
「え?」
 白石が聞き返した。
「どこにやったか、覚えてへん……」
「覚えてへんって、どういうことや」
 防犯意識が高いご時世だ。
 鍵をなくしたとなると、部活として大きな問題となるかもしれない。
「なあって、
 白石の声に責め立てられながらも、はまったく思い出すことができなかった。
 室内に入ったのだから、鍵は使用したはずだ。
 開けた、紙を取った、出て行った、それ以外の記憶が飛んでいる。
「だ、だって、急いでてんもん」
「とにかく、部室周辺を捜そか」
 二人はテニス部へ一目散に駆け出した。

 部室はあれから数人が出入りしたようだが、それほど様子は変わっていなかった。
 鍵が隠れていそうな場所はないし、机上も日誌が置いてあるだけだ。
「コートのベンチとかちゃうんか?」
「今日行ってへんから違うと思う、けど……」
 記憶がないのだから、自信を持って否定はできない。
 念のためにコート内を調べるが、見つかる気配はなかった。
「白石、忙しそうやな」
 騒がしく走り回る二人に気づいたらしい謙也が、声を掛けに来ていた。
「部室の鍵捜してるねん」
 白石の簡潔な言葉に、急ぎの用でなければ後にしてほしい、という意が込められていた。
 すると謙也は目を見開き、人差し指を立てる。
「そうその鍵や、ささったまんまやったで」
 言いながら謙也は鍵を出して見せた。
 捜していた二人が、ぶら下げられたそれを見つめて動きを止めた。
 そして、同時に安堵の胸をなでおろす。
 はぼんやりと思い出し始めた。
 校内放送を聴きながら入室したが、そのとき鍵を抜いていない気がする。
 あれから謙也が発見するまで、ずっと鍵穴に垂れ下がっていたと思うと血の気が引いた。
「さしっぱなしなんて珍しいな思とってん」
「今日は部長会やったから、に預けてたんや」
 そう言った白石の目は鋭かった。
 動揺を隠すように、が大きな声を出す。
「謙也のアホ!」
「こら、ありがとうやろ」
「謙也が勝手なことするから、なくなったかと思たやんか!」
 関西弁で言うアホは挨拶のようなものであるが、それに続くの発言は明らかに悪態だった。
 それがバツの悪さからであることも、聞いた白石が怒り始めていることも、謙也は理解しているようだ。
「おいおい、俺のせいかいな」
 謙也は苦笑いで柔らかく突っ込む。
、八つ当たりするんやない」
 白石に咎められると、はプイとそっぽを向いて行ってしまった。
「堪忍な、謙也」
「ええねん、慣れてるから」
 の代わりに謝罪する白石をなだめるように、謙也がカラカラ笑った。
 そんな配慮も虚しく、白石は厳しい表情を崩さない。
「俺からちゃんと言うとくわ」
 気の毒に、と同情しながらも謙也は、乾いた笑顔で部長を見送ることしかできなかった。

 は部室に戻っていた。
 何をするでもなく椅子に座って、カリカリと爪をいじる。
 開いた扉に反応し、音の方に目を向けた。
 入ってきたのが白石だとわかると、視線は再び指先に移った。

 不意に名前を呼ばれ、動きが止まる。
「ちょっと注意が足りひんのとちゃうか」
 はじまった、と思いながら、は頭を掻いた。
「わざとやないし」
 お前なぁ、と白石が続ける。
「もしほんまに鍵なくしとったら、ドア本体の鍵を変えてもらわなあかんねんで。学校にも迷惑かかるやろ」
「結果的に見つかってんからええやん」
 がそう漏らしたきり、室内に沈黙が流れる。
 白石が自分の方を見ているのがにはわかっていた。
 しかし見つめ返す義理はない。
 こっち向けって言われてないしな、と心の中で弁解した。
 居心地の悪い空気の中、白石がおもむろに口を開く。
「謝りなさい」
 そう責められることは読めていた。
 はゆっくり首を横に振る。
「ダメ、謝りなさい」
 謝れと言われて謝れないわけではない。
 だがはそれよりも、鍵を預かるというただそれだけの仕事を全うできなかった事実にショックを受けていた。
 イレギュラーさえなければと、失敗を認められずにいたのだ。
 は顔を上げ、白石の目を見て言いたてる。
「そもそも私の仕事ちゃうもん。私に預けた蔵が悪いんやろ!」
 しん、とその場が静まり返る。
 白石は腰に手を当て、あきれたように頭を垂らした。
 しばらく溜息をつくと、にわかに顔を上げて言い放つ。
「もうええ。知らん」
 が初めて聞く、突き放すような言葉だった。
「付き合うてられへんわ。好きにしい」
 白石はに背中を向け、扉の方へ歩き出した。
 自分の態度に対し、ぐちぐち説教されると予想していたは呆然とする。
 ただならぬ雰囲気を感じ、ガタッと椅子の音をたてて立ち上がった。
「蔵っ、待ってっ!」
 扉の前で、白石の足が止まる。
 その後ろ姿に向かって、が弱々しくつぶやく。
「ご、ごめん、なさい……」
 振り返った白石はキッと鋭い視線を投げた。
「なんで最初からそれが言われへんのや!」
 が身をすくませる。
 白石がこんな風に声を荒げるのは珍しいことだった。

 険しい眼差しに耐え切れず、は縮こまるように視線を落とした。
 白石が速やかに左手の包帯を外してガントレットを机に置く。
 金太郎を脅すときのような、もったいつけた動きはない。

 白石が膝に呼んでいる。
 宣言がなくとも、厳しく尻を叩かれることは明白だ。
「早く」
 拒否する間もなく急かされたは、白石に近寄る。
 慈悲を請うように、ごめんなさいと微かに漏らしたが、白石の表情は揺らがなかった。

 膝に倒されたの頭の中は恐怖でいっぱいだった。
 きっとたくさん叩かれてしまう。
 どうかこの一打目に、手心が加えられていますように。
 下着が下ろされるあいだ、が祈るように両手を握りしめる。
 呼吸は荒くなり、背中が震えていた。
 直後、バチンッ! と清々しいまでの打音が響き、その希望が打ち砕かれたことがわかった。
「痛あっ……!」
 自然と体が前に逃げる。
 すかさず白石がの腰を捕らえ二打目をお見舞いした。
「あぅっ、ごめんなさいっ!」
 既に三度発せられた謝罪の言葉も耳に届いていないかのように、白石の平手は続いた。
「っ……!」
 そこからは、ごめんなさいが出なかった。
 痛みが治まる間もなく浴びせられる平手は、耐えるだけで精いっぱいだ。
 の目は潤みを帯びて、今にも滴が落ちようとしている。
 足の付け根をすくい上げるような次の一打は、それを零れさせるには充分だった。
「あぁっ! ……っく」
 大粒の涙がポツポツと床に散らばる。
 一度流れ出すともう止められないことを、はよく知っていた。
 泣いているからといって叱られるわけでもないのに、白石に気づかれないよう両手で顔を覆って、声を押し殺そうと必死に堪えていた。

 尻全体が赤みを帯びたころ、がたまらず手を伸ばした。
「手どけなさい」
「もっ、無理……っ!」
 涙が混じった声からするに、冷静さを保てる限界なのだろう。
「あかん。今日は許さへん」
 大事そうに尻を庇うの手を払いのける。
 白石が平手をくらわすと、案の定は声をあげて泣き出した。
「うああぁんっ……痛いぃっ……! 蔵ぁ、も、ほんま痛いっ……うぅっう……」
「許さへん言うてるやろ」
 またも遮ろうとするの手を制止する。
「ごめんなさいっ、ごめんなさいぃ……!」
 白石は少しだけ手を止め、毅然として言う。
「よう反省しいや」
 そうして、すぐに平手を再開した。
 死刑宣告にも似た一言に、の泣き声は一層大きくなった。
 は泣きながらも、打たれ込まれるたびに体を跳ね上げつつ、許しを請い続けるしかなかった。

 一定のペースで叩いていた白石だが、不意に平手打ちを中断する。
 すっかり腫れあがったの尻に手を当て、場所を確かめるようにピタピタと指を沿わせた。
「ラスト10発。いくで」
 さんざん泣きじゃくったが、びくんと肩を震わす。
 あと10回でやっと許してもらえるという気持ちと、今耐えられないくらい痛いのに、この上にきつい10発なんて無理、という気持ちとがぐちゃぐちゃになり、声を詰まらせていた。
 白石は大きく左手を振りかぶると、先ほど手を沿わせた場所へ、正確に落とす。
「あぅっ!!」
 これまで以上の強い力で叩かれ、が背中をのけぞらせた。
 次もまた、きっちりと同じ場所を容赦なく打ち据えられる。
「ああっごめんなさいぃっ!」
 身を翻して逃げようとするを、白石の右手が捕まえた。
、まだ2回や」
「ひっく、痛い、んやもんっ……蔵ぁ……」
「甘えてもあかん。次いくで」
 バチィン! という音とともに、真っ赤な尻に更なる手形がつくられる。
「ひあぁっ!」
 間髪入れず次の一発も入れられた。
「うああぁぁんっ、いたぁいぃっ……」
 再び尻を浮かせたが膝から落ちそうになるのを両手で支えられる。
「そんなんやったら、いつまでたっても終わらへんで」
「っう、蔵、いたいぃ……」
 腰を抱え込まれ、今度は一気に三連発をくらった。
「ああぁっ! ……っくぅ、ごめんなさっ……ぅ」
 体を固定されたはどうにか痛みをやわらげたくて、またしても手を出してしまう。
「こら、あかんで
「だってっ……ぅえぇぇんっ……」
「もっかい1から数えよか?」
「いやあっ、待って、待ってぇっ!」
「ほんなら手はどないすんの」
 はぐす、と鼻を啜りながら、のろのろ手を引っ込める。
「ほら次、8回目やな」
 パシン、パシンと続けて叩かれ、の体が跳ねあがる。
「あぁっ、あぁぁっ!」
「これで終いや」
 バチン! と最後の一打が鳴る。
「……ぅうああぁぁんっ、ごめんなさぁいぃっ!」

 体を起こされたは、膝までずれた下着もそのまま白石に跨り、抱きついた。
 顔を白石の胸に埋め、わんわん声を上げて涙を流す。
「パンツ伸びるで」
 少しずつ引っ張って履かせられると、小さく悲鳴が上がる。
 腫れ上がった尻に擦れたのが痛んだらしい。
 衣服を直されて足が自由になったのをきっかけに、は更に強く白石にしがみついた。
「うっ、っ……ごめんなさいっ……」
 しゃあない子やな、とあやすような手つきで背中をトントン叩かれる。
 いつもより強い抱擁の息苦しささえ、今のは心地よく感じていた。

 呼吸が落ち着いたころ、の後頭部を撫でながら白石が言う。
「今度また鍵お願いするわな。たのむで」
「……私で、ええの?」
「もちろんや。頼りにしてるからな」
 気恥ずかしそうにが頷く。
「謙也にも謝りや?」
 はぐっと言葉に詰まり、白石の背中に手をまわして、すがりついた。
「……こんな顔で言われへん」
 目を真っ赤に腫らし、思いっきり泣かされましたという顔で会うことなんてできない。
 白石の胸で、が再び嗚咽を漏らす。
「わかったわかった。明日でええから。な?」
 白石は背中に感じる指の食い込みをものともせず、長い時間をかけてをなだめるのだった。




<あとがき>
 白石にめっためたに怒られたい。
 ごめんなさいって言わされまくって、許してもらったらぎゅーとなでなでしてもらいたい。
 そんなコンセプトで書きました。
 そのため、ちょっとお仕置きはキツめを意識です。

 そうはいってもよそ様のハードと言われる作品に比べれば、なんてことないですよね。
 白石も厳しく接しているフリしながら、結構甘い人な気がします。

 たまにはこんな風に、いっぱい謝るキーちゃんもいかがでしょうか。


2014.09.24