小春日和の午後

柳生比呂士

10月14日(火)
デフォルト名:進藤 由麻



「答え合わせをします。1番を…田中」
「えーと、『3a』です」
「そうだな。では次の2番を……」
 午後の教室、温かい日差し。
 昼食後の授業は眠くならなかったことがない。
 そして5時間目が数学とくれば…………。
 練習問題を各自で解いて、そのあと皆で答え合わせをする。
 そのあいだに教室が静かになると、どうやっても睡魔が襲ってくるのだ。
 遠くで先生の声が聞こえる。
 ……次、5番を…………


 ハッとして顔をあげた。一瞬で目が覚める。
 なに、なんだって!?
 たぶん当てられたことは間違いない。
 どこの問題!? それ以前に、まだ1問も解いてない!
 慌てて手元を見ると、小さな紙がボールペンに挟んである。
『2x-5y』
「に……2x-5y……」
 おそるおそる答えると、先生は満足そうに頷く。
「いいぞ、よくできたな」
 なんとか危機は乗り越えた。
 …………いや、そんなわけがない。
 隣の席の男にボールペンを返す。
 先生にはバレなかったけど、教室で恥をかくこともなかったけど。
 知ってる。この後の展開の方が危機だってことは。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
 あとで責められるのが怖くて形だけでもお礼を言ってしまう私は小心者だろうか。


 放課後。
 早く終わってほしかった授業も、残りの時間は妙に早かったように感じた。
 もたもたと帰り支度をする私を隣で見つめるのは柳生比呂士。
「さて、帰りましょうか」
 はぁぁ。帰ろうか、地獄への道を。
 いつもならここで部活に行く。
 時間というのは偉大なもので、人の感情を平生の状態に持っていってくれる。
 だけど、こういうときに限って試験週間だ。
 新鮮な気持ちのまま、比呂士は家に招き入れる。
 先生、自宅に帰りたいんですが。
「……おばさんは?」
「町内会の集まりです」
 家には誰もいないらしい。
 ドキッ、なシチュエーションのはずなのに、全然ときめかないというか、違う意味でドキドキというか。
さん」
 部屋に着くやいなや、比呂士が口を開く。
「今日は何度目の居眠りですか」
 わかってるくせに聞くんだ。
「………………3回目」
「3回目はどうすると言いました?」
 こういう、私に言わせようとするところがムカつく。
「……………………お仕置き」
 か細い声で答えると、比呂士が上着を脱いで言う。
「覚悟はよろしいですか?」
 比呂士がベッドに腰掛け、私を膝に乗せた。
 私の下着に手をかけ、ゆっくりと下ろす。
 この瞬間が恥ずかしくてたまらない。
 スッと肌に触れる冷気が、今お尻を剥き出しにしていることを教えている。
 私はなんて間抜けな格好をしているんだろう。考えただけで顔が熱くなる。

 その時、柳生家の電話が鳴った。
「……少し待っていてください」
 比呂士は私を膝からそっと下ろし、ベッドに腹這いにさせて言った。
「私が戻ってくるまで、そのままで待つのですよ。いいですね」
 そしてそそくさと部屋を離れていった。
 ……しばしの静寂。
「……ここで逃げないバカはいないっての!」
 いつまでもこんな恥ずかしい姿でいられるわけがない。どうせ待ってても、その先にあるのはお仕置きだけなんだから。
 私は速攻下着を上げて、逃げ出そうと部屋から出た。
 ……途端に立ち止まった。
 いや、思わず固まったというのが正しいかもしれない。
「いくらなんでも、5秒というのは早すぎませんか?」
 比呂士だった。
「ひ…ろし……電話は…?」
「FAXでしたよ。おあいにく様ですね」
 背中に寒いものが走る。
 ヤバい。非常にヤバい。
「私はさんに何と言いましたか?」
「………………」
 何も言えない。もう何も言えない。
 比呂士の方を見ることもできなくなって、下を向いた。
「……さん」
 促すように名前を呼ばれて、重い口を開く。
「…………待ってろ、って……」
 比呂士はクイッと眼鏡を上げて続ける。
「言う事を聞けない人はどうされるのでしょうね?」
「………………」
 あああもう、何も言えないってば!
「もしきちんとそのままで待っていたら、お仕置きは無しにしようと思っていたのですが」
 しらじらしくため息をつく比呂士に、思わず顔を上げる。
「……っ! それっ……ずるい!!」
「本当ですよ。実に残念です」
 全然残念そうには見えない。
 そんなの、私が逃げたから言ってるだけに決まってる。
 ちゃんと待ってても、お仕置きは確定だったに違いない。
 なのに……これじゃあ私がすっごく悪いみたいじゃない。
 これを口実にお仕置きをもっとひどくするつもりなんだ。
 鬼畜め。外道め。
 
「はい、戻りましょう」
 私の腕を掴んで、ベッドまで連行する。
 流れでドアから抜けようとしたけど、手を振りほどこうにも力比べじゃ敵わない。
 同じように膝に乗せられ、下着まで下ろされ、比呂士が宣告をする。
「言いつけを守れなかったお仕置きもしなければいけませんか?」
 パシンッ、と平手が振り下ろされた。
「っ……」
 そんなのいらないいらないっ!
 心の中では言い返すが、実際に発するのはくぐもった呻きだけだ。
 初めは衝撃だけで、次第に表面がピリッとしてくる。
 そこまではいい。
 子供じゃないんだから、我慢できる。
 だけど、いい加減にしろって言いたくなるくらい、これが続くのだ。
 パァン! パァン! パシンッ!
 ぐっと拳を握って、次の痛みに耐える準備をする。
 なのに、比呂士は見ていてわかるのか、手を止める。
 そしてほんの少し気を抜いた瞬間に強烈な一発を入れてきた。
「いっ……たぁっ!」
 つい大声をあげてしまった。
 悔しさをぶつけたくて、涙が滲む目で比呂士を睨む。
「……逃げたいって思うのは当たり前じゃないっ……」
「お仕置きに納得していないということですか?」
「するわけないでしょっ……」
「わかりました、言い訳を聞きましょう」
 急にそんなことを言われても、言葉が出てこない。
 比呂士はそれを察したようで、質問を投げかけてきた。
「どうしてお仕置きされているのですか?」
 そういえばすり替わっていたけど、そもそもは私が居眠りしたから怒られてるんだった。
「居眠り……してたから」
「居眠りはして良いことでしょうか」
「……よく、ない…………」
「どうして居眠りしてはいけないのですか?」
 その質問に、はた、と考え込む。
 そういえばなんとなく悪いことだと思っていたけど、改めて聞かれるとうまく答えられない。
 居眠りするってことは……あ、授業を聞いてないってことで……だから……
「ついて、いけなくなる……」
「まして苦手な数学でしょう。授業を聞かずにわかるようになるわけがない」
 うん、ごもっとも……。
「わからなくて困るのはさんですよ。確かに私も教えてさしあげますが、一度聞いている方が理解が早いでしょう? それに、先生にも失礼です」
 あぁ、こうやって聞いていると、やっぱり言い訳できることなんてない、よね……。
「……ですが、寝てしまうのはわざとではないでしょうし、仕方ありません。だから猶予をあげましたね?」
 前回もその前も、「3回目はお仕置きです」と言っただけで、比呂士は怒らなかった。
 いつもやたらめったら叩かれてるように思ってたけど、比呂士は結構考えてお仕置きしてたんだなぁ……。
 ますます、比呂士に勝てる気がしなくなった。

「……もう、わかった…………」
「そうですか。では再開ですね」
 ボソボソと言う私にあっさり答え、比呂士の手がお尻に添えられた。
 パシンッ!
「ひっ……!」
 忘れかけていた痛みに目を見開く。
「いっ、比呂士っ……」
「もう言い訳は聞きましたよ。ごめんなさいはまだですが」
「…っ…………」
 比呂士がそんなこと言わなきゃ、自分から言ったのに。
 もう言いづらくなっちゃったじゃない。
 そんな勝手な考えを咎めるように、比呂士は右側の同じところばかりを責めてきた。
「いっ……あっ……あぅ……」
「謝る気がないみたいですね」
 口には出してないのに、なんで比呂士はわかるんだろう。
 バチンッ! と、とどめのように叩かれ、絞り出すように言った。
「ごめんなさいっ……!」
 言われたから謝ったようなタイミングだったせいか、比呂士は少し不満そうだった。
 だけど、そんなに厳しくするほどのことでもないと思ったのか、すぐに手は止まった。
「まぁ、今日はこのくらいにしておきましょう」
 私の頭をポンポンと撫でて比呂士が言う。
「これでもう、居眠りはできませんよね?」
 撫でられる安堵感の中、私には"次はこんなものでは済みませんよ"と聞こえていた。




<あとがき>
 あれ、優しさが見えない?w
 楽しんでる風を出さないようにしようと思ったらなんか妙に厳しげになってしまった。
 でも、比呂士さん台詞書きやすいわ。
 敬語のお説教は堅いこと言わせやすいからいいね。

 ただ、どこか変態ぽく感じるのは何故だろう(笑)


旧題;春の陽気にあてられて

12.04.28 UP