親愛なる風紀委員
柳生比呂士10月29日(水)
デフォルト名:進藤 由麻
彼氏が風紀委員だと、朝から変わった会い方ができる。
校門の前で、特に挨拶を交わすでもなくアイコンタクトを取るのがたまの楽しみだ。
そう思っていたのは私だけだったのかしら。
「少々、服装が乱れていませんか」
いつものようにチラッと見て通り過ぎようとしたとき、比呂士が声をかけてきた。
「……え、私?」
一瞬、他の生徒に言ったのかと思って、危うく無視するところだった。
「規定より丈が短いですね。早急に直して下さい。それに遅刻ギリギリです。もう少し早めに登校してはいかがですか」
「……………………」
業務的な言い方が引っ掛かるが、比呂士の言うとおり時間もあまりない。
何も答えず、足早に教室へ向かった。
知らない相手じゃないんだから、もっと言い方ってもんがあるんじゃないの。
登校早々、気分が悪い。
朝にこういう出来事があると、一日がなんとなく冴えない。
会って一言目が服装の注意だなんて。にこやかにおはよう位言えないのか。
彼女相手に他人行儀なのもカチンときた。
むしろ贔屓してくれてもいいくらいなのに。
放課後になってもイライラは解消されなかった。
感情をそのまま歩調で表すかのごとく、早足で部室に向かう。
……はぁ、体操着を教室に忘れた。
ふとそれに気付いて足を止める。
わずらわしさを振り払うように、小走りで教室へ引き返す。
角を曲がる瞬間人影が見えて、ドタッ、と音を立てて急停止した。
「おっと、危ない所でした……おや」
出会った相手は、よりにもよって比呂士だった。
さっきまでは紳士的な態度だったのに、私だとわかると急に表情を変えて説教を始める。
「廊下を走ってはいけないと習いませんでしたか?」
眼鏡を上げる動作が何とも威圧的に見えた。
それだけのことに少しひるんでしまう自分が悔しくて、意識的に強気の発言をする。
「……ぶつからなかったんだからいいでしょ」
「そういう問題ではありません。特に曲がり角では……」
「風紀委員ってずいぶん暇なのね」
さっさと話を終わらせたくて、比呂士の言葉を遮った。
次の言葉を待たずに横を通り抜けようとすると、比呂士が再び眼鏡を上げる。
「……お話だけではわかっていただけないのでしょうか」
少し低くなった声に、反射的に足が止まる。
だめ、振り向いてはいけない。
そんなことをすればこの場がタダでは終わらない。
私を見つめているであろう比呂士を無視して、急ぎ足で教室を目指した。
こんなときに比呂士に会うなんて。
別に、いつもいつも走ってるわけじゃない。
朝からあんたにあんなこと言われなきゃ、廊下を走ることもなく心穏やかに過ごしていただろうに。
腹立たしさと、少しばかりの恐怖心からますます苛立つ。
教室から体操着を取って部室に行くと、レギュラーはみんな練習を始めていた。
日誌を取り出し、書類棚を閉めようと手を掛ける。
……動かない。
開けるのは簡単だったのに、何かが引っかかっているようだ。
ちょっとしたことが、またも私の機嫌を悪くする。
まどろっこしくて力任せに閉めると、予想以上に大きな音をたてた。
直後、隣にある会議机の方からも聞こえた。
パコン、という音のあとに、軽い金属音。
振り向くと、比呂士の眼鏡がケースから飛び出ていた。
今の衝撃で落ちたのだろう。
ついていないことは重なるらしい。
面倒だけど放置するわけにもいかない。
ダラダラと歩いて、眼鏡を取るために近づく。
軽くため息をついてしゃがみ、眼鏡を引き寄せる。
見ると、レンズにべったり指紋が付いていた。
少々ほこりも引っかかっている。
比呂士に説明するのも面倒だし、元通りに戻しておきたい。
ならば、拭くしかない。
だるいな、と思いながらもスポーツタオルで拭き取った。
そうすると、眼鏡のレンズに細く白い線が浮き上がった。
あ、と思わず声をあげそうになる。
おかしいな、これは汚れ?
内心焦りながらもゴシゴシ擦ると、線はどんどん増えていく。
……傷をつけてしまったかもしれない。
そう思うと同時に、鼓動が速くなりだした。
もしかして、拭いたらまずかった?
でも、比呂士だってよく拭いてるじゃない。
眼鏡なんか掛けないから知らないけど、特殊なやり方があるの?
「おや、どうしましたか」
背後から唐突に声がして、ドキッと心臓が跳ね上がる。
振り向くと、そこにいたのは銀髪のヤツだった。
「なんだ、仁王か……びっくりさせないでよね」
安堵して再び眼鏡に向き直る。
あまりに比呂士そっくりの声だったので、本当に焦った。
「眼鏡なんか出して何しとるんじゃ」
「いや、拭いてるんだけど、きれいにならなくって……」
あきらめかけていた作業を再開する。
もう散々拭いたのだけど、人の目があると努力を見せたくなるものだ。
「そりゃそんなもので拭いたら傷が付くじゃろう」
「えっ、そうなの?」
右手に持っていたタオルに目をやる。
そうか、これがまずかったのか。
「そんなの知らないわよ~早く言ってよ」
私の自分勝手な発言を、もちろん仁王は冗談と受け取って軽く笑った。
何でまた柳生の眼鏡を、とか聞いてきたので、戸を閉めたら落ちて……という経緯を話す。
「お前さんのことだから、乱暴に閉めたんじゃろう?」
「立て付けが悪かったの! そりゃまぁ、イライラしてたから……そう、聞いてよ!」
そうだ。
それもこれも比呂士のせいと言っても過言ではない。
……少々過言かもしれないが、私の精神衛生上大きく関わっている。
「朝から服装がどうとか、登校が遅いとか、いちいちうるさいんだよね、某風紀委員が」
ささやかな仕返しとして、私も他人行儀に呼んでやる。
「さっきも廊下を走るなとか因縁つけてきたの。走ってたっていうより角でかち合っただけなのによ? しかも、私の顔見て急に態度変えるんだから」
若干、自分に都合よく話したような気もするが、仁王が黙って聞いているので私は遠慮なく続ける。
「勉強に関係ないものは~とかよく言うけど、スカート丈なんか逆に勉強と関係ないと思うのよね。あぁ、ストレス溜まる」
手なぐさみにいじっていた眼鏡を放っぽりだして机に突っ伏す。
「柳生が聞いたらどう言うかのう」
「なぁに、脅すつもり?」
うわ、こういうのって卑怯。
仁王ならいいだろうと思って喋ったのに、信用問題よ。
これをネタにゆすられたら面倒だ。
「仁王ってもっと融通のきくヤツだと思ってたのに」
「柳生と違って、か?」
「そうね、比呂士さんと違って仁王は優しいもんね」
突っ伏した姿勢のまま、不意に仁王を見上げた。
なんとなく感じる違和感。
仁王の顔をそんなにマジマジと見たことはないけれど、こんな感じだったっけ?
仁王というよりむしろ……。
嫌な考えが頭をよぎり、そのまま固まる。
これはもしかして、もしかしなくても……。
「あの、本当に、仁王……よ、ね?」
こんな質問おかしいと思う。
だけど聞かずにはいられなくて、すがる思いで確認する。
心臓がうるさいくらい鳴る中、目の前の男はゆっくり瞬きすると、さっきまでとは違う声色で口を開いた。
「残念ですが、優しくて融通のきく仁王くんではありませんよ」
そんな嘘だ、という思いと、あぁやっぱり、という思いがいっぺんに沸き上がる。
どちらにせよ確実なのは、私がピンチということだ。
「なっ、なんでそんな格好なの!? まさか最初からハメるつもりで……」
自身の髪型に戻しながら比呂士が答える。
「入れ替わりの予行をしていただけです。着替えに戻ったら貴女がいた、という訳ですよ」
考えてみれば、比呂士の眼鏡がここにあるという時点でおかしいと思うべきだった。
そうしたらせめて、仁王の姿をした比呂士に向かってペラペラと喋り散らしたりしなかっただろうに。
「だからって仁王のふりするなんてひどいんじゃない!?」
「私だと気付かない貴女も十分ひどいと思いますが?」
うっ、と言葉に詰まる。
それは、そうだけど。
でも、ほとんど背中を向けていて顔なんて見ていなかったのだし。
「貸したまえ」
比呂士が私から眼鏡を取り上げる。
「やってくれましたね。しっかり傷がついています」
もしかしたら何でもない汚れかも、という希望が絶たれ、心の中でため息をついた。
「だって……知らなかったんだもん……」
「だって、の前に言うことがあるでしょう」
再び、私が口を閉ざす。
なんでそう高圧的なのよ。
これで謝ったら自分が負けみたいな気分になる。
変にプライドが邪魔して、何も言えない。
「さん」
その態度を戒めるように、低めの声で名前を呼ばれる。
そんな、そんな子供に注意するような言い方されちゃ、余計言えなくなるじゃない。
無言の嫌な空間で、私は顔を背けて床を見つめることしかできなかった。
「よくわかりましたよ」
だんまりを決める私を見て、比呂士が仕切り直す。
「つまり、私の言うことを聞く気はないということですね?」
ドキン、と心臓が首あたりまで跳ねたような気がした。
「や、あの……」
次の展開を恐れてとりあえず口を挟むが、言うことなんて何もない。
実際そうなのだから言い訳の言葉もないし、かといって許しを請うなんてこともしたくない。
それ以上私が何も言わないのを見ると、比呂士が眼鏡を上げる。
「こちらへ来なさい」
きた。
「いや……」
「きちんと謝ることもできないのなら、お仕置きしましょう」
そう言った比呂士の手は、もう私を捕らえている。
身じろぐ私を膝に乗せて、慣れた手つきでお尻を剥いた。
「ひっ……ひろ……」
「存分に泣いて、ストレスを発散していただきましょうか」
首を捻って比呂士を見るが、冷淡な言葉が返ってきただけだった。
悔しくて、怖くて、涙が滲みそうになる。
「そんなに怒んなくてもっ……」
「私は仁王くんと違って、意地悪ですからね」
「そっ、それはその場のノリというか冗談で……ってかそこまで言ってない!」
そう声を張り上げたとき、いきなり一発目の平手が振ってきた。
パンッ!
「ひゃぅっ……」
「今日はたくさんいけないことをしましたね」
比呂士はそう言って、淡々とお尻を打つ。
「そんなっ……何もしてないじゃない!」
「わかるまで叩かなければなりませんか?」
責めたてられるような平手打ちに、じわっと目の奥が熱くなる。
私がどんな悪いことをしたっていうのよ。
登校が遅いとか、ちょっと仁王と間違えたとか、それくらいで叩かれちゃかなわない。
他に何かした? スカートの長さとか、廊下を走ったとか、少し……言葉が乱暴だったとか……。
あれ、こんなに色々してたっけ……。
ひとつひとつは些細なことでも、これだけ積み重ねれば話は別だ。
そして決定打に、眼鏡を駄目にした。
急に、大変なことをしてしまったと自覚する。
眼鏡っていくらくらいするんだろうか。
何万円もかかるって聞いた気がする。
私のお小遣いじゃ弁償にどれだけかかるんだろう。
バシンッ!
「ひゃあっ!」
お尻の下の方を叩かれ、あまりの痛さに声を上げた。
「この丈も、注意したはずですが?」
捲り上がっているスカートを軽く引っぱられる。
長さを変えるために細工しているウエスト部分を見られた。
「口で言っても直さないのですから、こうやって教えてさしあげないといけませんかね」
さっきの痛かった箇所を連続で打たれる。
「あぅ、あっ、いた、ぁいっ……!」
止めてほしくてお尻に手を伸ばすが、比呂士に払いのけられてしまった。
逃げられない痛みに、涙が頬を伝う。
「何も悪いことをしていないと、本気でおっしゃっていますか?」
「……っ……うっ……」
むせび泣きながら、小さく首を横に振った。
比呂士は叩くところを変え、尋問を始める。
「まず、朝は何を言われたんでしたか?」
「服装、違反……っく」
「登校時間は?」
「もっとっ……ひっく……、余裕を、持って……」
「そうですね。では廊下は?」
「走らないっ……」
叩かれながら、絞り出すように答える。
泣き声を上げたいところだったが、ちゃんと言わないと許してもらえない。
「はい。他に何か言うことはありますか?」
他に。眼鏡だ。
「眼鏡っ……傷つけてっ……ごめんなさい…っ……」
「はい、結構です。これで終わりにしましょう」
バチン!
「あぅっ……、っ……ぅわああぁぁん……!」
もう叩かれていないのに、これまで以上に大きな声を上げてしまう。
わあわあ泣く私を起こして、比呂士は背中をさすってくれた。
「はい、終わりましたよ」
「眼鏡っ……私……比呂士のっ……うぅ、っ……」
「出したままにしていた私にも非があります。ちょうど度を変えなければいけませんでしたから、大丈夫ですよ。修理に関して気に病む必要はありません」
一番引っ掛かっていたことをフォローされた。
安心感からなのか何なのか、また大粒の涙がこぼれた。
「ほら、もう泣かないで」
比呂士のそういう優しさが少し悔しいけど、このときばかりはまぁいいやと思ってしまう。
それが癪だから、思う存分甘えてやる。
比呂士の背中に腕を回して、胸元に思いっきり顔を埋めた。
<あとがき>
複数のネタを組み合わせた結果、妙に前置きが長くなりました。
風紀委員という設定を活かしたかったのと(服装検査や廊下でかち合うあたり)、仁王になりすました潜入捜査もやってみたかったので、いっぺんに使ってみました。
お仕置きまでがダラダラしてしまいましたが、書きたかった場面や台詞は結構盛り込むことができたので個人的には楽しかったです。
この潜入捜査、本当は仁王でやろうとしていたネタなんです。
柳生でもいけるんじゃ? と思ってこうなったのですが、せっかくなので仁王でも書いて同時にUPしております。
12.09.25 UP