homework
柳生比呂士9月26日(金)
デフォルト名:進藤 由麻
「ねぇー、明後日どっか行かない?」
紗英がチリトリにゴミを集めながら口を開いた。
彼女とはマネージャー仲間である以前に無二の親友であると思っている。
こうして、私の当番でないにもかかわらず部室掃除を手伝ってあげるほどに。
一年の頃から、お互いの当番のときは手伝いと称しておしゃべりの時間を設けるのが常になっていた。
土日も部活とはいえ、今度の日曜は他校での練習試合だから選手のみ遠征となる。
マネージャーは送り出した後に片付けなどの雑務をして先に上がれるため、実質休みみたいなものだ。
お互いどうしても彼氏との時間が多くなる中、紗英と出かけるタイミングとしてはちょうどいい。
しかし快諾はできなかった。
「今週は……無理っぽいかな」
「えー、なんで?」
「塾の宿題溜まってて」
月曜までに10ページ分の問題をこなさなければならない。
学校にまで持ってきて、隙間時間に進めているくらいなのだ。
休日に遊ぶ余裕などない。
「手伝うからさぁ」
「数学よ?」
「あ、ダメ。パス」
でしょ、と言いながら箒をロッカーへ戻す。
数学は紗英も苦手としていたはずだ。
見てもらったところで役に立たないだろう。
だが、なおも紗英は食い下がる。
「宿題って絶対やっていかなきゃいけないの?」
「そりゃそうよ」
「たまには忘れてもいいんじゃない?」
悪戯っぽく紗英が言った。
こういう楽天的なところがときどき羨ましくなる。
真意は読めたが、その手には乗らない。いや、乗れない。
「比呂士の事前チェックが入るのよ、ご丁寧にも」
「あー……」
それはご愁傷様、と流石に紗英も諦めたようだ。
つまらなそうに頬を膨らせている。
「ちぇー、とどっかでお茶したかったのになー」
「何、ストレス溜まってるの?」
「まぁね、毎日ストレスフルだよ」
軽い調子で紗英が答えた。
好き勝手に生きていそうなヤツだが、彼女なりに聞いて欲しい話でもあったのかもしれない。
とにかく、今週は無理だ。
後回しにせず、こまめにやっていれば遊びにも行けたのだけど。
「さー、それ答え写しちゃえば早いのに」
紗英は簡単にそう言った。
悪い顔をするでも、冗談で笑わせようとするのでもない、まるで普通のことのように。
「ダメでしょ、そんなの」
「真面目だねぇ。やらないよりいいじゃん」
そうだろうか。
せっかく塾に通っているのに、身にならないことをするのはもったいない気がする。
「あんたいつもそうしてるの? 数学」
「うん」
「そりゃ赤点になるわけだわ」
紗英は悪びれず、余計なお世話ーと言った。
「サンキュ。ちょっと捨ててくるね」
ゴミ袋を抱えて部室を出る紗英を見送ってから、鞄に目を落とした。
答えを写す、か。
そんなの宿題として無意味だ。
でも紗英が言ったように、やらないよりはマシなはず。
模範解答から学習すればいいのだ。
早く終わらせてしまいたいし、それもひとつの手かもしれない。
そっと、鞄の中の解答冊子を覗く。
ちょっとくらい、たまになら、いいんじゃないだろうか。
***
比呂士の部屋には、既に冬服が掛けられていた。
数日後の衣替えに向けて、もう準備をしているのだろう。
私もそろそろ、用意しておかなければならない。
メモをするため連絡帳を取り出していると、比呂士が口を開いた。
「宿題の進み具合はいかがですか?」
「……もう終わったわ」
私は背を向けたまま答える。
あまりこの話を広げたくなかった。
冬服、と書いた文字を、無意味にぐるぐると丸で囲む。
「おや、早いですね。とても多かったので大変だったでしょう」
その通りだ。写すだけでも骨が折れる作業だった。
「わからないところはありませんでしたか?」
まったく無いというのも不自然だろう。
数学が苦手であることは比呂士もよく知っているのだから。
そうね、と問題集を手に取って、適当な箇所を探す。
どうせみんなわからないのだ。どれだって構わない。
「……ここなんだけど」
間違えたことにしてわざとバツをつけた問題を指差す。
わからなかったのは事実だ。嘘ではない。
「なるほど、これはですね、…………」
比呂士は意気揚々と解説を始めたかと思いきや、早々に黙り込んだ。
まさか、比呂士にもわからない問題だった、なんてことはあるまい。
「貸してください」
比呂士は問題集をペラペラ捲り、しばらくじっと眺めた。
悪い予感がして、鼓動が速くなり始める。
勘付かれる可能性は考えていた。
慌てず騒がず、しらばっくれるだけだ。
「さん、正直に答えてくださいね」
比呂士が眼鏡を上げて私に向き直った。
「自分の力で宿題を終えましたか?」
「……どういう意味よ」
気付いてしまったらしい。
だけど応戦すると決めているのだ。
ここで退くわけにはいかない。
「例えばですが、誰かに教えてもらったり、模範解答を見たりはしていませんか、ということです」
「そんなの、……するわけないでしょ」
決めたからには、もう方針を変えられない。
睨むように比呂士を見つめ返す。
では、と比呂士はメモ帳とペンを取り出し、何かをサラサラと書き出した。
それを私に見せる。
「この問題を解説する前に、ひとつテストしてみましょうか」
そこにはこう書かれていた。
半径が x cmの円柱がある。高さが10cmのとき、円柱の体積 y を x で表せ。また、比例定数を答えよ。
比呂士ははっきりと口にはしないものの、私が何をやったか見当がついているのだろう。
思わぬ方向からの切り返しに、私は動揺を顔に出してはいないだろうか。
それだけが心配だった。
どうして回答を見ただけでわかったんだろう。
頭に浮かぶ疑問を掻き消し、平静を装って問題に立ち向かう。
円柱の体積……半径×3.14×高さよね。
だから……
「yイコール、xかける3.14かける10だから……」
「円周率はπで結構ですよ」
「……yイコール、……10x……じゃない、10πxで……」
「そうでしょうか? 円の面積は“半径×半径×円周率”ですよ?」
そうだった。そんな簡単なことも忘れていた。
「っ……ちょっと間違えただけでしょ? 紙に書かないとわかりにくいわ……」
「では、ここへ書いてください」
まずい、言い訳が仇になった。
やむを得ずメモ帳を受け取り、渡されたペンを持つ。
さっき口にしたものを、まずは書いてみる。
y=x × x × π ×10
y= 10πx²
しかしここで手が止まる。
比例定数、って、どれのことだったっけ……。
「おかしいですね。あなたは同じ問題を正解しているはずなのですが」
意地悪な物言いが私を更に焦らせる。
じりじりする気持ちを払うように頭を掻いた。
考えたって、わからない用語がわかるようになりはしないのだけど。
「早く白状したほうが良いと思いますよ」
比呂士の冷酷な一言が飛び、ドキンと心臓が跳ねる。
ああもう、こんなことなら紗英の言うことなんか聞かなきゃよかった。
下唇を噛みながら、シャーペンをノックする。
長くなった芯を戻しては、口を閉ざしたまま再びカチカチと押す。
三回目を繰り返そうとしたとき、それを取り上げられた。
比呂士はシャーペンとメモ帳を静かに置いてから、グイッと私の手首を引っ張る。
「いっ、たっ……やめてよっ……」
またお仕置きをする気なのだとわかり、全身が拒絶反応を起こす。
引かれた腕に力を込めたが、背中から抱えるように膝へ倒された。
「いやっ! やめてって言ってるじゃないっ……!」
ベッドに座った比呂士の膝へ横這いにされ、腰をしっかりと掴まれる。
準備完了という体勢ながら、比呂士はそこで動きを止めた。
左後方を見上げると、視線が合う。
比呂士は私の目のもっと奥、心の中を覗き込むような瞳で見つめてきた。
「さん、本当のことを言いましょうか」
ドクンドクンと心臓がうるさく脈打つ。
比呂士の膝にも伝わっているかもしれない。
顔を背けて手を握ると、拳が震えていた。
こんなにも怯えているのかと、自分で信じられないほどだ。
いけないことをしたという意識はある。
だけどもう、ここまで来たら後に引けなかった。
だってこんな場面で、どうしろと?
今にもお尻を叩かれそうなこの状況で、答えを見たと認めれば許してくれるというのか。
それができるなら、屈辱的なこの姿勢を取らされる前に打ち明けたほうが得策だったはず。
押し通すしかないのだ。
「……何よ、本当のことって……」
そう口にしておきながら、じわじわと後悔が押し寄せてくる。
もしかしたらここで許してもらえたかもしれない最後のチャンスを、私は自ら手放した。
完全に気付かれているのに。
比呂士は私が謝るのを、待っているだけだったのに。
でもだからこそなのだ。
それを理解していたからこそ私には、比呂士が望んでいる態度なんてとれない。
比呂士が長い溜息をついた。
「わかりました。さんがそのつもりならば、私も譲りませんよ」
パサッとスカートが捲られた。
それから躊躇なく下着が下ろされる。
予想していたこととはいえ、お尻を剥き出しにされた瞬間「ひっ」と声が出てしまう。
比呂士が大げさなくらいに右手を振りかぶったものだから、見てもいないのに平手が落とされる瞬間がわかった。
バシン! と勢いよく叩かれ、ビリビリと響くような痛みがお尻に走る。
「っ……!」
我慢するしかない。
比呂士が満足するまで待てば、いつかは終わるのだ。
いくら叩かれようとも、粘り勝ってやる。
平手を浴びせられながら、歯を食いしばって手を強く握った。
パシッ! パシッ! と一定のペースで与えられる痛みは、時間を追うごとにどんどん増していく。
右側を叩かれ、その痛みが引く間もなく今度は左側、そしてまた右側と、お尻への平手打ちは際限なく続いた。
「さん」
名前を呼ばれ、思い出したように全身に力が入る。
「そろそろ言う気になったでしょうか」
パシンッ! とまた一発を食らって、奥歯を噛みしめた。
「まだしらを切るのですか?」
比呂士が右手を振り下ろしながら、持って回ったような言い方で問う。
本当はもう白状してしまいたかった。
でもここへきて、やっぱり写しましたと言ったとしても、そうでしたかで済まされるはずもない。
認めたらもっとひどく叩かれることになるかもしれないのだから。
それが怖くて、もう言い出せない。
何も答えられないでいると、比呂士が小さく「仕方ないですね」と漏らす。
次に飛んできた一打は、さっきまでとは比べ物にならない威力だった。
「ひあぁぁっ!! ……くぅ……っ……」
無情にもう一発、バチンッ! と重い音を立てて平手が落とされる。
「あうっ……! ……うっぅ……!」
痛い。本当に痛い。
お尻が熱くなっていることは触らなくても感じられた。
もう嫌って今すぐ逃げ出したいくらい痛いのに、そこをまた叩かれるなんて拷問だ。
無意識に逃げた腰をしっかりと押さえられて、鋭い平手を連続で浴びる。
「ひっ……うぅっ……あぅっ……!」
たまらず涙がこみ上げてくる。
目の前が霞がかったようになって、すべてのものが滲んで見えた。
こんなの、これ以上耐えられっこない。
自分で自分を追い詰めていることをようやく悟る。
私はどうしていつもこうなんだろう。
後悔するならやめておけばいいのに。
宿題の不正も、意地を張るのも。
「……あぁぅっ、……ごめ、なさいっ……!」
ほとんど無意識に発していた。
だから、重ねて叫ぶように言う。
「っ……うっく……っぅ……ごめんなさぃっ……うぅっ……!」
ずっとやまなかった平手打ちが止められる。
「何に対してのごめんなさいですか?」
「……っ、…………っく…………」
反抗したくて黙ったんじゃなかった。
単純に、この思いを上手く言えなかったのだ。
さまざまなことがワーッと頭の中に浮かぶも、どれもまともな文章にならない。
宿題を写してしまったこと、それを問い詰められてもしらばっくれたこと。
整理すればその程度なのだろうが、たったそれだけも口にすることができないでいた。
比呂士は手を止めたままで、再度叩こうという素振りは見せない。
そしてあまりにも言葉が出ない私の代わりに、口を開く。
「ではさん、もう一度聞きますよ。この宿題は、自分の力で解きましたか?」
ゆっくりと首を横に振る。
自分で隠しておきながら、ようやく打ち明けられたことに胸のつかえが取れた気がした。
「解答を見て、写したのですね?」
すすり上げながらも頷く。
私がやったことを、比呂士は何もかもわかっていた。
自分から言うように何度も促されたのに、とぼける私を比呂士はどう思っていただろうか。
「今後ずっとそうするつもりですか?」
次は首を横に振る。
上手く自分の言葉にできない私に対し、比呂士はイエスかノーで答えられる質問を投げかけてくれていた。
「それではいけないと、さんなら理解していますね」
泣きじゃくる私の背中を、なだめるように撫でながら比呂士が言う。
「最初から正直に答えてくだされば、こんなに叱りはしませんでしたよ」
「……ごめっ、なさいっ……うっく……」
「もう、しませんね?」
「っ、は、い……っ」
比呂士は「わかりました」と穏やかに言い、私の服を戻してくれた。
抱き起され、向かい合うように比呂士の膝に座らされる。
涙が引くまで根気よく、背中を擦ってくれた。
子どもみたいで恥ずかしいと思ったけれど、拒否はしなかった。
鼻をすすりながら、ポツリと呟く。
「……写したって、見ただけでわかったの?」
「ええ。書かれた答えと、さんの様子を見ればわかりますよ」
比呂士にはすべてお見通しなのだ。
不思議がっているように見えたのだろうか、クスリと笑われた。
「慣れないことをするからです」
慣れられても困りますが、と比呂士は微笑んで眼鏡を上げた。
比呂士の言うとおりだ。こんな真似、しないに限る。
「ねぇ、今度はちゃんと、宿題するから……その……」
続きが言い辛くて、ごもごもと口を濁す。
取り繕うように髪をいじっていると、比呂士がその上に手を重ねてきた。
最後まで言わなくても、やっぱり比呂士にはわかってしまうみたいだ。
「お任せください。もちろん教えますよ」
比呂士は大きく頷いて、物柔らかに笑みを浮かべた。
<あとがき>
昔、似たネタ書いたな!
第四日曜の午前に練習試合がある、は公式設定だったりします。虚実織り交ぜの二次創作。
あっ冒頭に出た紗英は仁王夢の夢主です。二人はぜひ親友設定で書きたかった。
おそらく柳生は、誰か(ってか紗英)に入れ知恵されたというのには気付いていそう。そこは言及しないけど。真面目だけど空気は読むタイプ。
19.08.13 UP