後ろめたさの向こう側で

仁王雅治

9月25日(木)
デフォルト名:堀川 紗英



 朝練終了後、教室へ向かう途中で雅治に声をかけられた。
、あのプリントまだ持っとるじゃろ」
 プリント。
 すぐにピンとは来なかったが、雅治から最近受け取ったものといえばひとつしか思い浮かばなかった。
 先週借りた、数学のあれだ。
「えー? とっくに返したじゃん」
「……そうじゃったかの」
「濡れ衣着せないでよね」
 小テストが終わったあと、用済みになったらすぐ返している。
 あんなもの、持っていたって仕方ないのだし。
 
 教室の前で別れ、私たちはB組とC組、それぞれの教室に入っていく。
 嫌なことを思い出してしまった。
 せっかく数学小テストの点数も、あのあとの出来事も、忘れかけていたのに。
 
 まさかお尻を叩かれるなんて思ってもみなかった。
 そりゃ、赤点取ったらお仕置きとは言われてたけどさ、本当にすることないでしょ。
 しかも二日連続。
 寝坊して遅刻は……まぁ、私が悪いところもあったかもしれないけど。
 それにしたって、ごめんなさいじゃろ、なんて言われて謝れるわけがない。
 雅治ってばいい気になって、まったく腹が立つ。
 
 苛立ちながら鞄の中身を取り出す。
 教科書を机に突っ込もうとしたとき、なんとなく胸騒ぎを感じた。そっと手を入れてみる。
 くしゃ、という音と感触。
 ドキンと心臓が鳴る。
 慌てて奥から引っ張り出すと、それは思った通り、雅治のプリントだった。
 うっそ、返してなかったっけ?
 なんでよ、だってテストの日、すぐ……。

 よくよく思い出してみると、あの時間B組は移動教室で雅治に会えなかったんだっけ。
 それで放課後、部活のときに渡そうとしたら鞄に入っていなくて。
 明日でいいや、って思って、それっきりになってたんだ。

 顔を上げ、きょろきょろ辺りを見回す。
 雅治は隣のクラスだ。見ているはずもない。
 これ、どうしようか。ああもうめんどくさい。なんで雅治に借りちゃったんだろう。
 頭を掻きむしりたくなる衝動に駆られる。
 
 キーンコーンカーンコーン、と予鈴が鳴った。
 その音を聞いているうちに、だんだんどうでもよくなっていく。
 悩むのが馬鹿らしくなってきた。
 ……ま、いいわ。今日の部活で、サラッと渡しちゃえ。
 私ったら何を気にしてんの。
 別に雅治がどう言うかなんて、関係ない。
 紙の皺を手で伸ばして、鞄の中にしまい込んだ。

***

 ちょうどよく、というのだろうか。
 部室の前で雅治と鉢合わせた。
 口を開こうとした雅治に構わずさっさと中に入り、机に鞄を置く。
 今度こそ忘れる前に渡すのだ。
「雅治、これ」
 なげやりにプリントを差し出す。
 紙の正体に気づいた雅治は、それを手に取ってニヤリとした。
「やっぱりお前さんが持っとったか」
 どことなく嫌味な物言いが癇に障る。
 雅治の言葉はそこで止まり、部室がしんと静まった。
 私が何かを言い出すのを待つように、雅治は腰に手を当ててけだるげに頭を傾けた。
「…………なによ」
 ジロッと見上げると、雅治が目を細める。
「言うことがあるんじゃないんかのう」
 ぐっと、下唇を噛む。
 何よ、言うことって。
 遠回しな言い方が憎たらしくて、イライラがこみ上げてくる。

 雅治はテニスバッグをその辺の床に置いた。
「記憶違いしとっただけなんじゃろ。ごめんなさいで許してやるぜよ」
 おちょくるような笑みを浮かべながら、雅治は私を見下ろす。
 謝るほど悪いことなんてしてないのに。
 ちょっと長い間借りてたくらいでこんなに責める雅治のほうがよっぽどひどい。
 視線を逸らして下を見る。
 雅治のテニスシューズと自分のローファーが目に入った。

 この前、謝らなかったことを根に持ってるんだろうか。
 しつこい奴。人のこと泣かせておいて、まだ満足してないっていうの。
 思い出したら余計に腹が立ってきた。
 もうやだ、また泣きそうになってくる。

 何よもう、口にしなくったってわかるでしょ?
 私たち付き合ってるんだから。
 雅治ならそういうのわかってくれてるって思ってたのに。
 どうして言わせようとするの、バカ。

「もう、うるさいっ! 早く着替えれば!?」
 それだけ言って逃げ出そうとしたところ、腕を掴まれた。
 やだ、怖い。
 思った瞬間、立ったまま抱きしめられるような形になる。
 それから即座にパシンと、お尻をはたかれた。
「ひゃっ……!」
 雅治を押しのけようとしても、強く引き寄せられてしまう。
「謝れば許してやると言うとるのに、素直じゃないのう」
 耳元で響く声に、思わず身震いする。
「私、悪くないしっ……!」
「ほう。そうか。悪くないか」
 パシッ! パシッ! と続けて叩かれ、思わず雅治にしがみつく。
「いったぁいっ……!」
「早く謝ったほうがええんじゃないんかの」
「っ…………!」
 お仕置きなんかされたって絶対謝ったりしないから。
 唇を噛んで声を押し殺す。
 そうしたら雅治は、私が黙ったからってさらに強くお尻を叩いてきた。
 スカートの下がジンジンと熱くなる。
 雅治にいいようにされているのが悔しくて恥ずかしくて、だからこそ、雅治の要求通りに謝ることなんてできない。
 
 早くやめてよ雅治。私、絶対謝らないから。
 お仕置きなんかしても意味ないって雅治にわからせたくて、余裕の顔をしていたかった。
 でも、お尻が痛いのと、ちょっぴりだけ怖いのとで、涙腺のコントロールが効かない。
 涙が滲んできたと自覚したときにはもう遅くて、すぐに目から落ちていった。
 数滴の滴が、雅治のブラウスに円状の染みを作る。

 私が泣くのを待っていたかのように雅治が喋り出す。
「ごめんなさいじゃろ」
 泣いていることに気づかれちゃったんだろうか。
 それすら悔しかった。
 絶対言ってやらないという固い意志で、首を横に振る。

 涙を拭こうにも、そのさまを雅治に見られたくない。
 だけど向き合っているこの状況じゃどうしようもなくて、顔を見せないように下を向いたままでいるしかなかった。
「とんだ偏屈じゃのう」
 不意に頭に触れられて身をすくませたけれど、髪を梳く手つきは優しかった。
 つい雅治を見上げると、少しだけ笑っているようで、相変わらずよくわからない表情をしていた。
 叩かれなくなったところをみると、どうやらお仕置きは終わったようだった。

 なぜか無性に悔しくて、そのまま胸に抱きつく。
「……雅治のばかぁ……もうきらい……っ………」
 これでもかというくらいギュウギュウ締め付ける。
 雅治が痛い、苦しいと言うまで離さない、そういうつもりだった。
 けれども雅治はさも平気そうに私の背中をさする。
「嫌いか。それは悲しいのぅ」
 彼女に嫌いって言われてんのに、どうしてそんなに余裕なのよ。
 バカバカバカ。
 なんでこんな状況で優しくするの。
 意味わかんない。
 雅治があやすように私の頭を撫でたから、私もまた負けじと強く腕に力を込めて抱きついた。




<あとがき>
 単発スパ夢として読める、としておきながら、わりと続き物になってしまっている仁王夢です。
 原因とスパが分かれていなければまぁいいかという基準で……よろしければ続けてごらんください。

 まだまだお仕置きはぬるい感じです。


19.06.30 UP