TELL ME
柳蓮二9月24日(水)
デフォルト名:林 綾子
3年生の階へ行くと、当たり前のことながら上級生ばかりだった。
外見で年下だとわかるのだろうか、いたる方向から視線を感じる。
居心地の悪さに身を縮ませながら、人の隙間を縫うようにして廊下をすり抜けていく。
そっとC組の扉を開けたら、幸村部長は「おや」とすぐに気付いてくれた。
「珍しいお客さんだね」
部長が席を立つと、なんだテニス部かといった様子で、私へ注がれていた視線はたちまち散らばる。
幸村部長が不在じゃなくて良かった。
ひとまず胸を撫でおろす。
「あの、お昼休みにすみません、突然」
「いいよ、食事は終えたからね」
どうしたんだいと尋ねられ、一呼吸置いてから口を開いた。
「実は部長に、ご相談が……」
つい足元に視線が落ちる。
こういうときは目を見て話せと、蓮二からいつも言われているのに。
「……静かなところで話したほうがいいかな」
部長は気を利かせて、廊下へ連れ出してくれた。
ひと気の少ない柱の脇まで行き、もう一度ゆっくり息を吸う。
「昨日、柳先輩からストップウォッチを片付けるように指示を受けてたんですけど、その……忘れて帰ってしまって……」
練習で使ったものを戻しておくように頼まれたのだ。
まとめて箱に入れて、他のと一緒にしまおうとベンチ脇に置いたまま、すっかり忘れていた。
思い出したのは家に着いてしばらくしてからだった。
いつもやってる仕事じゃないから……などというのは言い訳でしかない。
「朝、確認しに行ったら、……なくなってて…………」
昨日置いた場所に、ストップウォッチはなかった。
私がちゃんと片付けなかったせいで、紛失してしまったのだ。
「本当に、ごめんなさいっ……!」
不注意から大変なことをしでかした。
何を言われたって仕方ないと身構えながら、部長に向かって頭を下げる。
すると「さん」と柔らかい声が聞こえてきた。
おそるおそる部長を見上げる。
「まずは、教えてくれてありがとう」
部長は真剣な目をしていたけれど、私に向かって微笑んでくれた。
その表情に、ちょっぴり緊張がほぐれる。
しかし部長は改まった様子で、屈むようにして私をまじまじと見つめた。
「少し意地悪なことを聞いてもいいかな」
幸村部長に、私を叱り飛ばそうという雰囲気はない。
けれども、わかったの一言で終わるわけでもないようだった。
「蓮二には言ったのかい?」
……当然そう聞かれるだろうと、予想はしていた。
私に仕事を頼んだのは蓮二だ。
その蓮二を飛ばして幸村部長に謝るのは、やっぱりおかしい。
「もちろん、報告済みなら何の問題もないんだけどね。どうかな」
「あの……それは……」
私が答えなくても、幸村部長には状況がわかっているようだった。
「俺は、指示を出した蓮二にきちんと伝えたほうがいいと思うけど」
「……その…………」
まごつくばかりで上手く話せない。
部長は、どうしようかなと言いながら、考えを巡らせるように廊下の天井を見遣った。
校舎中に予鈴が響く。時間切れだ。
幸村部長は穏やかに表情を緩めた。
軽く息をついて、教室のほうへ体を向ける。
「続きは放課後話そうか」
「……、えっと…………」
動き出さない私に、部長が振り返った。
「俺から告げ口したりはしないよ。とにかく、またあとで相談しよう」
「……はい…………」
幸村部長に見送られながら、来た道をトボトボと戻る。
結局何も、解決していない。
とはいえ蓮二には、……やっぱり言えないし。
横を歩く生徒たちがパタパタと私を追い越していく。
今は教室へ急がないと。
私も早足になって、階段を上った。
***
放課後、私は部室で幸村部長を待っていた。
詳しく決めていたわけじゃないけど、ここにいればきっと会えるだろう。
鞄を置き、パイプ椅子に座る。そして机に突っ伏した。
昨日、片付けるのを忘れなければ、こんなことにならなかったのに。
後悔したって時間は巻き戻らない。
ガチャリと音のするほうを見ると、現れたのは蓮二だった。
「どうした、コートへ行かないのか?」
当たり前の疑問だ。
マネージャーがここでのんびり座っていることなんて、普通はない。
「……荷物を整理したら、すぐに行く」
問い詰めるような言い方ではなかったのだけれど、勝手に引け目を感じてしまって蓮二から顔を背けた。
蓮二は私の言動をそれほど気にする様子もなく、話を続ける。
「、昨日頼んだ件だが……」
そこまでを聞いて、弾けるように顔を上げた。
「やったよ! ちゃんと、昨日!」
勢いよく言うと、蓮二は黙り込んだ。
焦りすぎただろうか。
違和感を持たれてしまったかもしれない。
じわじわと鼓動が速くなっていくのがわかる。
蓮二は顎に手を当て、冷静に口を開いた。
「そうか。他に、何か言うことはないか?」
どういう意味なんだろう。
しかし咄嗟についてしまった嘘を取り繕うには、そのまま突き通すしかない。
「ないよ、何も……」
そう答えると、背中のほうで扉の開く音がした。
「お疲れ様」
幸村部長だった。
あっ、と声を上げそうになる。
どうしよう。幸村部長はこの状況を見て、私が蓮二に白状したと思ってしまっただろうか。
だとしたらまずいことになる。
ここであのことを切り出されたら、私が嘘をついたのがバレてしまう。
激しく鳴りだした心臓を少しでも鎮めたくて、両手で胸元を必死に押さえる。
しかし部長は、特に挨拶以外のことを口にせず、ごく自然に着替えただけで出て行ってしまった。
あっけにとられていると、蓮二が再び口を開いた。
「もう一度問おう。俺に言うことはないのか?」
口調から、なんとなく嫌な予感がしてくる。
蓮二はもう、わかっている気がした。
もしかして幸村部長が話してしまったんだろうか。
告げ口はしないと言っていたけど、蓮二が気付いて問い質したのなら伝わっていても不思議はない。
「幸村部長から、聞いたの……?」
「精市から……?」
蓮二が一瞬だけ、何のことだかわからない、という顔をしたのを見て失言に気付く。
違う。幸村部長が言ったんじゃないんだ。
だったら今のは絶対、口にするべきじゃなかったのに。
蓮二は途端に厳しい表情になって語りだした。
「お前が探しているであろうストップウォッチだが、あれは俺が仕舞ったんだ」
「えっ……?」
思わぬ言葉に目を見開いた。
昨日置いた場所へは見に行ったけれど、倉庫までは確認していない。
無くなったんじゃなく、片付けられていたなんて。
「そんなっ……、言ってくれれば……」
「先ほどそれを言おうとしたが、お前に遮られた」
ああ、なんてことをしてしまったんだろう。
軽はずみな行いに、またも激しく後悔した。
時間は戻せないって、さっき思ったばっかりなのに。
蓮二はおもむろに腕を組んで私に向き直る。
「なぜ精市の名を出したのか、説明してもらおう」
「そ、れは……」
「ストップウォッチを紛失したと思い込み、部長に相談したということか?」
そう問われれば、何も否定するところはなかった。
首を小さく縦に振る。
「忘れることは誰にでもある。それに関しては、慣れない仕事を任せて悪かったと思っているし、咎めるつもりはない。問題はそのあとだ」
蓮二の目が鋭くつり上がった。
「お前は、嘘をついて誤魔化そうとしたな」
やっぱりそれがまずかった。
肩をすくめた私を、蓮二はギロリと睨み据える。
それから立ち上がって、部室を施錠した。
お尻を叩かれるんだ。
ぞくっと背筋が寒くなる。
「ごめんなさいっ……蓮二、ごめんなさいっ……!」
蓮二はまったく聞いてくれずに、私の腕をとる。
そのまま流れるようにベンチに腰掛け、同時に私を引き倒した。
手早くスカートが捲られる。
お尻を剥かれるやいなや、強烈な平手が振ってきた。
「あぁぅっ……!」
続けざまにバチン! と叩かれ、蓮二の足にしがみついた。
「いいか。正直に話してくれたなら、叱る必要のないことだった」
三連続でお尻の下のほうを打たれ、堪えきれない痛みに身がよじれる。
無情に抱え直されて、一層きつく打ち据えられた。
「だが、お前は嘘をついた。それも精市を利用し、秘密裏に解決しようとしたわけだ」
「利用だなんてっ……あぅっ……!」
「ちょうど一週間前、正直に言わなかったことで叱られたのを忘れたか」
忘れるはずもない。
あのときにもお尻を叩かれて、ものすごく反省したんだ。
だけどやっぱり、蓮二に言い出せるようにはなかなかなれない。
バチンバチンとお尻を打つ音が、部室の中を反響する。
それが耳に届くたびに、責めたてられているような気持ちになった。
「ごめんなさぁいっ……! もう、嘘つきませんっ……!」
「ああ。ぜひそうしてほしい」
冷淡な言葉と共に、厳しい一発が飛ぶ。
何度も注意されたことを、ごめんなさいだけで許してもらおうなんて甘いと言わんばかりだった。
一打でも背中が反り返るほどなのに、平手は絶え間なく落ちてくる。
体が勝手に動いてしまうのを何度も引き寄せられては、またバシンと叩かれる。
「……ごめん、なさぁっ……ひっく……ごめんな、さいぃっ……!」
涙で手の甲はびしょびしょだった。
これじゃ拭いているのか顔に塗りつけているのかわからない。
しゃくり上げるのを抑えられなくて、ごめんなさいの声も途切れ途切れになる。
叩かれた瞬間に足が跳ねたせいで、腿の付け根の腫れあがったところを刺激する。その痛みにまた飛び上がった。
同じ場所を再びバシッと打たれて、ボロボロと涙が落ちる。
今まで生きてきて、嘘なんてつくんじゃなかったとこれほど思ったことはない。
ごめんなさいと言ったつもりだけれど、泣き声にしかならなかった。
蓮二の手が止まる。
叩かれていないからといって、痛いのは治まったりしない。
お尻が熱を持って、ジンジンと疼いていた。
「これで懲りただろう。今後は正直でいることを心がけろ、いいな?」
「は、いっ……やくそく、しますっ……!」
精一杯の声で返事をすると、蓮二の手はお尻に降ってくることなく背中に添えられた。
蓮二は私を立たせてから頭を撫で、それから制服も軽く撫でて皺を伸ばしてくれた。
「正直に話すというのは勇気のいる行為だが、俺には遠慮せず明かしてくれ」
鼻をすすりながら頷く私の頭を、蓮二がもう一度撫でる。
「単なるミスで尻を叩いたりはしない。ただし、誤魔化そうとした場合は別だぞ」
「はい……」
答えながら、自分でもスカートを整えた。
それを見て蓮二は部室の鍵を開け、ユニフォームに着替え始める。
「俺はコートへ行っている」
蓮二はラケットを片手に部室を出ていった。
ヒリヒリと痛むお尻を、両手でそっと撫でる。
蓮二に隠しごとをしない。
嘘をつかない。
勇気を出して、自分から謝る。
もう、ちゃんと約束した。
約束はしたけれど、これまでできなかったことがそう簡単にできるようになるんだろうか。
頭の中で繰り返していると、ガチャッとドアノブが回った。
慌ててお尻から手を離す。
「っ、幸村、部長……」
幸村部長は薄っすらと口角を上げた。
「……蓮二に叱られたかい?」
部長にはお見通しのようだった。
そりゃあ、まだ鼻をすすり上げているこのありさまじゃ丸わかりだろう。
「すまなかったね、庇ってあげられなくて」
「いえっ、とんでもないです! 私が悪かったので、叱られて、当然です……」
「裏切り者だと思われたかな」
「そ、そんなことは……」
慌てて否定すると、部長はクスクス笑った。
「蓮二と話をしているようだったから、それならそれが一番だと思ってね。口出しは控えることにしたんだ」
「……あの、本当に、すみませんでした……」
「俺に謝ることはないよ」
そうは言われたけれど、やっぱり謝りたくてもう一度深く頭を下げる。
「頼られるって、嬉しいものだね」
だしぬけに部長が言った。
何の話だろうと思って顔を上げる。
「俺は話してもらえて嬉しかった。だから、蓮二だってさんから相談してほしかったんじゃないかな」
蓮二は口にしなかったけれど、もしかしたら寂しく思ったかもしれない。
自分の行いが蓮二をどういう気持ちにさせたのか、改めて考えさせられる。
「だからこれからは、蓮二を頼るといいよ」
ふんわりと笑う部長を見たら、肩に入っていた力が自然と緩んだ。
「…………はい!」
幸村部長に一礼してから部室を出る。
フェンス越しに、ラケットを振る蓮二が目に映った。
もう一度、謝ろう。
足はすでにコートへと駆けだしていた。
<あとがき>
表には素直っぽい態度が出てるんでしょうが、反省の内容は根本的にわかってないというか少しずれているというか、どうもそういう方向で書きたくなる子です。
素直に謝る子が、必ずしもちゃんと行いを理解して反省してるとは限らないよ! みたいな。
いい子と悪い子という概念は単純に分類できるものじゃないでしょうからね。
19.06.30 UP