My cutie

仁王雅治

9月23日(火・祝)
デフォルト名:堀川 紗英



 約束の時間になっても、はやってこなかった。
 自宅で待っていた仁王は、もう何度も確認したメッセージアプリを再起動する。
 返事は届いていない。
 電話をしても「お繋ぎできませんでした」と無機質な音声が流れるだけだ。

 今日は珍しく家族が出払っている。
 昨日の埋め合わせではないが、のんびりできそうだからとを再び招いていた。
 まさか気を悪くしてすっぽかされたか。
 いや、昨日の別れ際はそう不機嫌な様子でもなかった。
 むしろ帰りたがらないから、明日も来るかと声をかけたのだ。

 厳密な待ち合わせではないのだし、5分や10分遅れたって構わない。
 しかし30分を過ぎたあたりからは流石に心配になってきた。
 おまけに連絡がつかないというのも気がかりだ。
 迎えに行ったほうがいいのか、動かず待っているほうがいいのか。
 下手に動いてすれ違ってもいけない。
 あと10分経っても来なければ、自宅に電話するとしよう。

 そう考えていた矢先に、呼び鈴が鳴った。
 が無事だったとわかり、仁王は早くも落ち着きを取り戻す。
 安堵の息をついて立ち上がった。
 出迎える前に時計を見上げる。45分遅れとは、なかなか待たされたものだ。

 扉を開けると、が額の汗を拭っていた。
「ずいぶん遅かったのぅ」
 仁王は腕を組み、壁に寄りかかる。
 かわいそうに、駅から走りでもしたのだろう。
 は大きく肩で息をしながら、乱れた髪を手櫛で整える。
「何かあったんか」
「別に、ただの寝坊」
「連絡くらいできたじゃろ」
「しょうがないでしょ、……起きたら携帯の電源、落ちてたんだから」

 仁王にはもう、だいたいの経緯が読めていた。
 昨日の出来事のせいで、おそらくは泣き疲れたんだろう。
 睡魔に誘われるまま就寝した結果、携帯の充電まで手が回らなかった。
 そのうちに電源が切れ、今朝は目覚ましが鳴らなかったわけだ。
 起動できないまま慌ててやって来たので仁王からの連絡も確認していない、というところか。

「………………」
「………………」
 は何も言おうとしなかった。
 自分が無自覚に「ごめん」という台詞を待っているのだと気付き、はたと思う。
 これまでの口から、謝罪の言葉というものを聞いたことがあっただろうか。
 昨日だってそうだ。考えてみれば謝る気配がなかった。
 仁王は頭を傾け、に問いかける。
「こういうときはなんて言うんじゃろうな」
「はぁ…………?」
「わからんか? ごめんなさい、じゃ」
「、っ……」
 一瞬睨むような目を向けたあと、逸らす。
 やはり言わないか。
 仁王が感じていた通り、はこの言葉が苦手らしかった。
 不器用なのはの魅力のうちであるし、可愛いところでもある。
 ついでにいえば、彼女の良さを理解できるのは自分だけでいい、というちょっとした独占欲もある。
 だがのこれからを思えば、ごめんなさいのひとつくらい言えたほうがいいだろう。そうでないと彼女自身が苦労しそうだ。
 世の中、自分のような人間ばかりではない。
 然るべき場面では謝罪しろ、というのが社会のスタンダードだ。
 
 まぁ上がりんしゃい、と彼女を招き入れる。
 は口を噤んだまま靴を脱いだ。

 さっきから変わらず、は一言も発しない。
 テニス部員にとってはたまの休日だ。
 せっかく家へ呼んだのに、このままだんまりを決め込まれても面白くない。
 だってつまらないだろう。

 普段ならば、たとえ後ろめたいことがあったとしてもここまで黙り込みはしない。
 昨日の今日で、心の整理がつかないのかもしれなかった。
 遅刻のことは流しても構わないのだが、清算してしまったほうが後味が良いだろうか。

 に顔を向けてみると、先ほどと変わらない姿勢で、じっと足元を見つめていた。
「気にしとるんなら、謝ればええじゃろ」
 促しても俯いたままで、答える気はなさそうだった。
 おもむろに、の強張った肩を抱く。
「……謝れんなら、お仕置きしてやらんといかんかの」
「っ、……やっ……」
 ピクリと反応したの腕を引き、膝に倒す。
 逃げられる前に掴んでいて正解だった。

 パシンと尻を打ち鳴らすと、は身を硬くした。
 が何か言い出すのを見逃さないよう、様子を窺いながら数度叩く。
 だが、口を開く兆しはなかった。
 謝らないなら、致し方ない。
 仁王はこのまましばらく続けようと腹を決め、一定のペースを保ちながら平手を落とす。
 の息遣いだけが感じられた。
 どうやら声を出すまいと堪えているようだ。

 手を止めてみても、は体を固まらせたままじっとしていた。
「……ごめんなさいが言えたら許してやるんじゃが」
 はまだ動かない。
 顔にかかる髪をのけてやれば、固く結ばれた唇が覗く。
「のう、
 名を呼ぶと、拒絶するようにプイッと横を向いた。
 どうやら、謝るのが苦手どころの話ではないようだ。
 こうも意地を張っては自分が辛いだけだろうにと思うが、そんな態度すら愛おしく感じる。
 お互いにどうしようもなく相性がいいらしい。
 しかし、それとこれとは別問題だ。
「言わんのなら終われんな」
 もう少し力を入れるべく、仁王は左袖を捲った。
 バシン! と勢いよく振り抜く。
 の短い声が上がった。
 続けて二度、三度同じ威力で打ってやる。
 それだけで耐えられなくなったのか、は尻を庇うように手で覆ってしまった。
 はあまり痛みに強くなさそうだ。
 だいぶ加減してやらないといけない。
 邪魔な左手を背中に縫いとめ、いくらか力を弱めて平手を再開する。
「ちょっと、何っ、痛いっ……も、やだっ……!」
「やだ、じゃなくて″ごめんなさい″じゃないんか」
 そう投げかけた途端、は口を閉ざしてしまう。

 これほど意固地になるとは予想以上だった。
 この調子で、果たしてこいつは謝るんだろうか。
 えらいことになったと仁王は苦笑する。
 腕を掴まれていることが怖いのか、は振りほどこうと必死だ。
 もがく上半身を右手で押さえ、跳ね上げる脚を跨ぐように挟み、伸ばしてくる手も押さえ込む。
 ずいぶんとアクロバットな体勢になったものだ。
 なんだか滑稽で笑いがこみ上げるが、どうにか外に漏らすことなく辛抱した。

 手加減が功を奏したのか、どうやら泣き出してはいないようだ。
 顔を見てやろうと覗き込んでも、隠すように伏せられていて表情がわからない。
。ごめんなさい、じゃろ」
 促すたびに、服を握られる力が強くなる。
「ごめんなさい、じゃ」
 なぜ自分ばかり「ごめんなさい」を連呼しているのだろうか。
 肝心のが一度たりとも口にしないのに。
 考えだすとだんだんおかしくなってくる。
 ふ、と小さな笑いを漏らせば、はビクッと身体を震わせた。
 謝らないことに怒ったと思ったのかもしれない。
 怯えるくらいなら謝ればいいのに、と言いたいが、そんなところがまた可愛くて思わず口角が上がる。
 まったく、羨ましくなるほどに素直じゃない。

 こりゃ謝らんなと、仁王は頭を掻く。
 頑なにごめんなさいを言わないがいじらしくて、もはやどっちでも良くなっていた。
 謝らせるには至らなかったが、このくらいで許してやろうか。

 押さえつけていた手を緩めても、は暴れださなかった。
 の体をゆっくり起こす。
 仏頂面というのか、申し訳なさそうにしているというのか。
 仁王には後者に見えたが、本人が何も言わないので真偽はわからなかった。

「充電器、持ってきとるんか?」
 目元に滲んだ涙には触れず、話題を変える。
 これ以上は追及されないと悟ったのだろう、の表情がやわらいだ。
 やはりわかりやすいヤツだ。
「……うん。コンセント借して」
 ここ使いんしゃい、と電源タップを引っ張って示す。
 は、携帯から伸びるケーブルの先端を寄こしてきた。
 ……差せということか。
 無言で受け取ると、がしなだれかかってくる。彼女なりの甘え方らしい。

 少しずつだなと考えながら、仁王は密かに笑いを漏らす。
 コンセントに繋ぐと、スマホの画面には空の電池マークが浮かび上がった。




<あとがき>
 超絶謝れない子を書いてみたかった。
 キーちゃんが謝らず粘り勝つのは、珍しいパターンではないでしょうか。

 でもね彼女、先に書いた『もうすこしがんばりましょう』では一応謝れてるんですよね……。
 というわけで、そこまでのお話でごめんなさいが言えるようになります。きっと。


19.06.09 UP