Innovation

柳蓮二

9月14日(日)
デフォルト名:林 綾子



 部室を出ようとしたそのとき、何かに足を取られて体が前に倒れ込んだ。
「わっ」
 咄嗟に机へしがみつく。危ないところだったけど、どうにか転びはしなかった。
 振り返って足元を見れば、私が引っかかったのはパソコンの電源コードであったことがわかる。
 壁に繋がっているべきプラグは抜け落ちて、虚しく床に転がっていた。
 
 事態に気付いた途端、嫌な汗がどっと噴き出てくる。
 またドジを踏んでしまった。
 今は練習試合の真っ最中。選手もマネージャーもコートに出ている。目撃者はいなかった。
 ちょっと資料を取りに来ただけだったのに、こんなことになるなんて。
 
 電源コードに駆け寄ってコンセントに挿し直す。
 ブンと機械音がして、パソコンが起動した。
 うるさい鼓動を押さえながらモニターを見ると、真っ暗な画面に白文字が浮かび上がる。
「“コンピュータが正しくシャットダウンされませんでした”……?」
 意味不明の文章と、カウントダウンされる数字。
 どうしていいかわからなくなって、思わず電源ボタンを押してしまう。
 目の前の文字列は黒く塗りつぶされ、代わりに切羽詰った顔の私が映った。
 
 ……報告、しなきゃ。
 でも、なんと説明すればいいんだろう。
 不注意で、と言ったら怒られるかもしれない。
 正直に話すべきだと頭では理解しているけど、自分から言い出す勇気が出ない。
 
 どうか、大ごとになりませんように。
 祈るような気持ちでパソコンを見つめてから、部室を後にした。
 
 
 
 第二日曜日の部活は午前中で終わる。
 昼食をとったあとは部屋に蓮二を招いて、お家デートをすることになっていた。
 せっかくの幸せな時間なのに、今朝のことが心に引っ掛かったままで全然楽しめない。
「顔色が冴えないな」
 蓮二がこちらに顔を向ける。
 帰宅前のミーティングで、「パソコンを使用したものはいるか?」と蓮二が呼びかけていた。
 全員、覚えがないと言う顔で周囲をぐるりと見渡す中、私の心臓の音は誰かに聞こえるんじゃないかと思うほどバクバク鳴った。
 名乗り出る人がいなかったから、それ以上は追及されなかったけど。

「そうかな……」
 三角座りにした脚に顎を乗せて、ポツリと漏らす。
 私が壊してしまったんじゃないかと気になって仕方がなくて、つい質問を投げかけた。
「あの、部室のパソコン、……大変なことに、なってたの?」
 問題ないとか大丈夫だとか、そういう返事を期待して蓮二を見上げる。
 なのに返ってきたのは、想像していたのと違う言葉だった。
「……お前なのか? 
「っ……!」
 心臓が、まるで撃たれたみたいに痛くなる。
 バレちゃった。
 なんで、今のでわかったんだろう。
「あの、その、……れん、じ…………」
 上手く話すことができなくて、そうだ、とも違う、とも答えられない。
「お前なのか、と聞いている」
 鋭い目でじっと見られ、視線を逸らせなくなる。
 小さく首を縦に振ると、蓮二は顎に手を当てて目を伏せた。
「失敗は誰にでもあることだ。それについて責めるつもりはない。だが、いつも決まって誤魔化そうとする姿勢は感心しないな」
 淡々と語る蓮二の顔をこわごわ見つめる。
 毎度のことだけれど、お説教は慣れない。
 蓮二の冷静な声を聞いていると、本当に私はダメな人だって思い知らされて、情けない気持ちになるのだ。
「繰り返し注意してきたはずだが、何度指摘しても一向に改善されない」
「ご、ごめんなさ……」
「言ってわからないようなら、
 謝ることすらさせてもらえず、言葉を遮った蓮二は私を厳しく見据えて言った。
「今日はお前の尻を叩くことにする」
「へっ……?」

 いきなりのことに、呆然とするしかなかった。
 蓮二が、私を叩くと言った。
 どういうことか、頭が追いつかない。
 グワングワンと耳鳴りがして、心がその言葉を拒絶しているかのようだった。蓮二はすぐ目の前で話しているのに、とても遠くに感じる。
 
 蓮二、なんでこんなに怒ってるの?
 どうしよう。
 何が蓮二の逆鱗に触れたのかわからない。
 どんな風に謝ればいいんだろう。
 
 金縛りにあったように固まる私の腕を、蓮二が強く引っ張る。
 正座の脚に乗せられて、ひらっとスカートを捲られた。
 頭の中が真っ白で、何の抵抗もできない。
 
「一度よく反省するといい」
 蓮二がそう呟いたあと、弾けるような衝撃が走った。
「ひぁっ!」
 間髪入れず二発目が、下着だけになったお尻に落とされる。更に次を数える間もなく叩かれ、そこから先は連打となって平手が降り注いだ。
「痛いっ……痛ぁい……!」
 足をバタバタ動かしても蓮二は全然聞いてくれない。
 膝が床に当たって、余計に痛いだけだ。
 
 蓮二に怒られるのはもちろん初めてじゃない。
 でも、こんな風に打たれたことはなかった。
 失敗だらけの私がとうとう許せなくなったんだ。
 共通の備品、それもパソコンなんて高価なものを壊してしまったんだから、蓮二が怒るのも当然だ。
「ごめんなさいっ! 蓮二っ……ごめんなさいぃっ……!」
「形ばかりの謝罪では意味がない。行動が伴ってこそだ」
 下着と肌の境目、脚の付け根あたりをピシッっと叩かれ、勝手に体が跳ね上がる。
「あぁうっ……!」

 そうだ、謝ったって、壊れたものが直るわけじゃないんだ。
 しでかしたことの重大さに気付いて、たちまち恐ろしくなった。
 認識の甘さを責めるように、次から次へと平手を浴びせられる。
 もう、ごめんなさいも聞いてもらえない。
 私、嫌われちゃったのかな。
 痛くて、怖くて、悲しくて、涙がボロボロと溢れ出す。
「ひっくっ……ごめんな、さいっ! ……っ、ごめっ、なさぁいっ……!」
 
 4年前、近所に引っ越してきたときからずっと、蓮二はお兄ちゃんみたいな存在だ。
 私が間違ったことをしたら「それはいけない」と教えてくれるし、正しいときには褒めてくれる。
 初めて会ったときから蓮二のことが大好きだった。
 それはもちろん、今この瞬間だって同じ気持ちで、だからこそ蓮二を怒らせてしまったことが悲しくて。
「ごめ、……っ、なさいぃっ……! れん、じっ……ひっく……!」
 パシンパシンとお尻を打ち続ける手の厳しさが、胸を苦しくさせる。
 もう怒らないで。
 お願いだから許してほしい。
 何度も思考がループする。
 私には謝ることしかできなくて、ただ必死にごめんなさいを言い続けた。
 
 叩く手が止まったかと思うと、蓮二の低い声が降ってくる。
「今朝パソコンを使用したのか?」
 ずっと黙っていた蓮二が話しかけてくれたことに、少しだけほっとした。
 すぐに喋り出すことができず、ふるふると頭を横に振る。
「ならば何をした?」
 ちゃんと答えなくちゃ。
 しゃくり上げる呼吸をなんとか整えて声を出す。
「……コードっ、抜けちゃってっ……」
「再び接続したということか?」
 鼻をすすりながら、こくんと頷く。
 それからどうしたんだ、と蓮二は重ねて問う。
「よく、わからなくて……っ……電源、切ったの……っ」
「なぜ黙っていたんだ」
「おこ、られると、思って……っ」
 深く溜息を吐くのが聞こえた。
 私のやったことに呆れてるんだ。
 堪えていた涙がまたポロリと零れる。
「隠せば、より叱られるということを覚えておけ」
 とびきり痛い平手をパシンッ! と打ちつけられる。
 たまらず背中をのけ反らせた。
「ああぁんっ……ごめ、なっ……さぁいぃっ! わぁぁんっ……!」
「もうしないな?」
「はいっ……も、しませんっ……! っひぅ……っく、う……ごめな、さっ……」

 蓮二に体を起こされる。その場に立てば、はらりとスカートが落ちて服は元通りになった。
 その下はさっきまでと違って、ジンジン熱い。
「れん、じっ……迷惑、かけてっ……ごめんなさいっ……!」
 ヘマをしてばかりの私に、蓮二はいい加減幻滅しただろう。
 みっともなく流れ続ける涙を早く止めたいのに、体が言うことを聞いてくれない。
「きらいに、ならないでっ……!」
 ボロボロ落ちる涙を手で拭っていると、蓮二がすくっと立ちあがった。
 身を縮めて、ギュッと目を瞑る。
 すると、ふわりと温かい腕に背中を包まれた。
、誤解しないでくれ」
 柔らかく心地良い囁きが聞こえてきて、体の緊張が緩みだす。
「反省を促すため、厳格な態度で臨んだだけだ。お前を嫌いになどなるはずがない」
 蓮二の、優しい、大好きな声。
 よかった、嫌われたんじゃなかったんだ。
 不安がなくなると同時に、全身の力が抜けてくる。足がぐにゃぐにゃになったみたいで、立っていられなくなった。
 蓮二に寄りかかって体重を預ける。
「うっ……わあぁぁんっ……! れんっ、じぃっ……! うぅぅっ……ああぁぁん……!」
 お腹の辺りに顔を埋めて、さっき以上にわんわん声を上げる。蓮二はそれを咎めはしなかった。
「パソコンの方は大丈夫だ。強制終了はあまり望ましくないことだが、故障はしていないだろう」 
 蓮二がそっと頭を撫でてくれる。
「困ったことがあったら、慌てず俺を呼べばいい」
 これからも蓮二に、頼っていいということ。
 その言葉でやっと、本当に許されたのだと感じることができた。
「わかってもらえたか?」
「うん……蓮二っ……、ごめんなさいっ……」
「ああ」

 わかってくれたならいいんだ、と微笑む顔は、いつもの優しい蓮二だった。
 もう絶対、蓮二を怒らせるようなことはしない。
 固く誓いながら、蓮二の背中を強く抱きしめた。




<あとがき>
 Secretシリーズ柳夢の序盤は、よく見ると説教の内容も謝罪の内容も不明瞭ってのを意識しています。
 だからお互い、何で怒られてたか、何を反省したと言ってるか、わかってるつもりでわかってない、みたいなことになってるのではないか。
 君たち何を「もうしない」んだか、食い違ってないかね?
 現時点では表面的に満足してる感じで実は噛みあってなかったり。幼なじみ故に相手を理解した気でいるってのだといいなと思います。
 
 
18.06.04 UP