訓戒の機

柳蓮二

9月29日(月)
デフォルト名:林 綾子



 柳が部室の扉を開けると、がパイプ椅子の上に立っていた。
 は入ってきた人物を一瞥し、柳ならば特に挨拶の必要もないと思ったのか、構わずロッカーの上へ視線を遣った。
 どうやら救急箱を取ろうとしているようだ。
 柳が、と呼びかける。
「そんな不安定な場所に立つと危ないぞ」
「うん」
 そう答えながらも、は手を伸ばす。
「俺が取ろう。救急箱か?」
「いいの、大丈夫」
 譲る気はなさそうだ。
 案外、言い出したら聞かないところがある。

 彼女も伊達に立海テニス部に所属していない。
 ここでやっていくには、そういった芯の強さが必要である。
 たとえマネージャーであっても、だ。
 柳も彼女の一生懸命なところは高く評価しているが、目撃した以上放っておくわけにもいかなかった。
「よしたほうが良い。今に倒れるぞ」
「あとちょっとだから」
 椅子を使ってもロッカーの上までは見えないらしい。
 手探りで取ろうとしているが、まったく届いていなかった。
 柳の身長ならば台を使わずとも取ることができただろうが、真ん前にがいてはそれも叶わない。
、そう意地になることはない。代わってくれ」
「もう取れるよ」
 
 ジャンプすれば届くと思ったのか、は軽く跳び上がった。
 指先が救急箱を捉えたものの、打ち払うような形になる。
 滑り落ちていくそれを追おうとしたが勢い余って足を踏み外した。
 パイプ椅子がぐらりと揺れる。
「きゃっ……!」
!」
 すかさず柳が、の体を支える。
 真横でじっと見ていたおかげで守ることができた。
 救急箱が落下した派手な音に、腕の中のが身を竦める。
 蓋が外れて中身が飛び出し、包帯や消毒液のボトルが辺りに散乱した。
 破損したかもしれないが、が落ちるより良い。
「怪我はないか?」
「っ、ごめんなさい……」
 期待した返事とは違っていたが、どうやら大丈夫そうだ。
 柳は小さく息を吐く。
「だから言っただろう」
 説教めいた口調でを見れば、途端にその目が泳いだ。
 もし自分がついていなかったらどうなっていただろうか。
 想像するだに恐ろしい。
「俺は危ないぞと警告したはずだ」
 は縮こまり、こわごわ柳を見上げた。
「あの……私、ちゃんと、片付けるから……」
 は自分が落ちかけたことよりも、救急セットを散らばらせたことを気にしているようだった。
 不要な危険を冒さないでほしいだけだというのに。
「違う、その話ではない。身の安全を考えろと言っているんだ」
 口調が厳しくなっていることを自覚する。
 心配という感情は表にはあらわれにくい。
 には怒りとして映っていることだろう。
 彼女は居すくまり、薄く開いた唇から微かにごめんなさいと零した。
「高さが足りなければ専用の踏み台を使うべきだと、お前も理解していただろう。椅子の上で跳ぶなど、危険極まりない」
 視線を落とすに、目を見て聞けと注意するのは求め過ぎであると柳は考えていた。
 反省のポーズだけ取れるようになったところで無意味だ。
 今は話の内容に集中してくれればいい。
「それに、無理せず協力を得ることも時には必要だ。適切な判断が下せる利口さを、お前には持っていてもらいたい」
 は眉を八の字に下げ、力なくうなだれる。
 危険な行為だったと、わかってくれただろうか。
 何にせよ重大な事故になる前に忠告ができて良かった。
 これで用心してくれるようになるといいのだが。柳は溜息を漏らす。
「今後はよく気をつけてくれ。わかったな?」
 はしおらしく「はい」と答えた。
 唇を固く結んで俯くさまは幼い子どものようで、いたいけなその姿につい頭を撫でてやりたくなる。
 しかし、まだ終わってはいない。

 乗っていた椅子から彼女を下ろし、まずは床に立たせた。
 脱いでいた靴を履き直すよう促してからドアまで歩み、内側にある施解錠の金具――サムターンというが――を回す。
 音に反応して、は肩をビクリと震わせた。

 このくらいのことで尻を叩くのは厳しいだろうか。
 いいや、下手をすれば大怪我をしたかもしれないのだ。
 二度と繰り返してほしくない。
 しょげる彼女を見ていると胸が痛むが、柳は覚悟を決めて向き直る。
 腕を引きながらベンチに腰かけた。
「いいか、20打つ。そのあいだよく反省しろ」
 膝へ横たわらせる前に目を見据え、きっぱりと宣言する。
 ゴールが明確であれば、辛抱できるものもあるだろうという考えからだった。

 を腹這いにさせ、制服を捲り上げる。
 改めてほしいことは伝えた。あとは手短でいい。
 すみやかに下着を下げ、早速一発目を打ち込んだ。
 バチンッ! と高らかな打擲音が響く。
「ひぁうっ……!」
 これまで与えた平手打ちに比べて相当強い威力に、は驚いたようだ。
「れ、んじ……痛いっ……」
 振り向き訴えるに、柳は泰然と言い放つ。
「あと19だ」
 20発。さして多くはない回数で済ますと決めた。
 力を緩めるわけにはいかない。
 一打一打確実に、よく言い聞かせるつもりで右手を振り下ろす。
 5打目を打ったころにはすでに、尻は赤みを帯びつつあった。
 それでもなお同等の力を込め、柳が6発目の平手を打ちつける。
「ああっ……! ごめ、なさいっ……!」
 の声に涙が混じりだす。
 意識的にきつく、それも連打に近い間隔で叩いているのだ。
 早々に耐えきれなくなるのも無理からぬことだった。
「ひぅっ……っくぅ……ごめ、……なさっ……」
 は柳のスラックスを握りしめながら、ごめんなさいと声を上げる。
 真摯なその態度に、柳は常々感心していた。
 素直さにおいて彼女の右に出るものはいない。
 そんな親馬鹿にも似た感情を抱いたことに、柳は自嘲の笑みを静かに浮かべた。
 しかしすぐに気を引き締め、右手を振り上げる。
 あと3回だ、と心の中でを鼓舞した。
「あぁっ……あぅっ……うぅっ……! ……ひっく、ごめん、なさっ……れんじ、ごめんなさっ、い……! ひっくぅ……」
 も数えていたのだろう。
 20発目の平手を終えるや否や、顔を覆うようにして嗚咽した。
 短いスパンであったため一時的な痛みは強かっただろうが、尾を引くことはないはずだ。
 この後の部活にも差し支えまい。
 
 身体を起こしてやり正面に立たせれば、はもう泣きやもうとしていた。
 何とも気丈夫で、メンタルが強い。
 、と声をかけると、目元を擦りながらも顔を上げた。
「救急箱が必要だったわけではないのだろう? 常備薬の確認をしようとしてくれたのか」
 きまり悪そうにコクリと頷くの頭を撫でる。
は本当によく気が回るな。いつも助かっている」
 そう言うと、謙遜するように首をううんと振った。
 照れているが、まんざらでもないようだ。
「しかし、俺が代わりに取ったとしても差し障りはなかったと思うが……今日はいつになくこだわっていたな。何か思うところがあったか?」
「……蓮二がいないと何もできないってなるのが嫌だから……」
 実に殊勝な姿勢である。
 柳は頬を緩めて相槌を打つ。
「それはいい心がけだ。ただし物事には向き不向きがある。の得意とすることをしてくれればいい。頼りにしているぞ」
 はにかむを再度撫でた。
 まだ目の充血は残っているが、じきに引くだろう。
 救急箱を拾い上げると、がすかさず手を出す。
「私がやる」
「そうか、ならば託すとしよう」
 箱を渡し、トンと肩に手を置いてから、立て掛けていたラケットを取った。

 解錠して扉を開くと、向こう側にはマネージャーの堀川が立っていた。
 今にもドアに手をかけようとしていたところのようだ。
 に目を遣ると、赤い目のまま会釈をしている。
 先輩にこの状況を見られたことに関してはあまり気にしていないらしい。
 これまでも柳がを叱り、部活中に涙する場面は珍しくなかったせいか。
 むしろ、何らかの事情があると悟ったらしい堀川のほうが動揺を見せた。
「……入っちゃまずかった?」
「いいや、問題ない」
 堀川は、柳との顔を交互にチラチラ見て、だったらいいけど、と中へ入っていった。
「あ、ちゃん、救急箱チェックしてくれたんだ? さすがー」
 堀川の声を聞きながら部室を後にする。
 他部員からも仕事ぶりを認められていることに、柳は満足げな表情で一人頷いた。




<あとがき>
 最後に出てきた堀川さんは仁王夢での夢主です。じわじわ浸食させててすみません。
 シリーズを通して読んだときに、相互作用している雰囲気が出るといいなーと密かに思っております。
 もちろん、その辺気にしなくても短編として読めるようにしていきたいです。

 たまには柳がちゃんのことめっちゃ可愛いと思ってる描写をしてみたいなと思い、柳視点にしてみました。
 が、大丈夫かな可愛いがってるかなこれ。

 あと、彼女だって必ずしも柳の言いなりではないというのも書きたかった部分です。
 言うことを聞いてばっかりじゃないということで。


19.09.04 UP