rainy day
柳生比呂士10月2日(木)
デフォルト名:進藤 由麻
雨は昨日から降り続けていて、朝になっても止まなかった。
登下校のときだけでも上がってほしかったけれど、仕方がない。
代わりにといっては何だが、雨の日の朝練は室内練習に変更されるため屋外の掃除は中止となる。
雑務は下級生がやるからマネージャーは出なくても良い、というのが暗黙のルールだった。
いないほうが広くて助かる、みたいな空気があるし、雨の朝はただでさえ気が重い。
私は積極的に欠席させてもらうことにしていた。3年マネはほとんどそうしているはずだ。
かくして今日は、気ばらしに音楽を聴きながら一人でのんびり登校したのだった。
8時25分の予鈴が鳴って少ししてから、比呂士は教室に入ってきた。
机に置かれた鞄は、不自然なほどに全く濡れていない。
きっと校舎へ入るより前に拭き上げてきたのだろう。
新学期の席替えで偶然にも比呂士と隣同士になったのには運命を感じて、最初はまぁ浮き立ったりしたものだ。
しかし、授業に入った途端その気持ちは消え去った。
横に監視役がいるようにしか思えなくて、正直息が詰まる日々だ。
自分の彼氏であるのに煙たがるのも妙な話だが、だらしない姿なんて誰より比呂士に見られたくない。
意識すると疲れるというものである。
おはようございますと声を掛けられ、私も朝の挨拶で返す。
「さん、今朝イヤホンを着けて歩いていましたか?」
唐突に聞かれ、ドキッと心臓が跳ねた。
別に悪いことをしたつもりはなかったけれど、問い詰めるような口調で言われるとなんだか後ろめたくなってくる。
「してたけど……何?」
「それで反応がなかったのですね」
「どこで見てたの?」
比呂士の家とはそれほど離れていないが、通学経路が違う。
まっすぐ学校に向かえば遭遇することはないはずだ。
だいたい、朝練はどうしたというのだろう。
「交差点で挨拶運動をしていました。それにも気付いていないのですか?」
「あ、そうだったのね」
風紀委員の彼らはときどき、校門や通学路に立って挨拶をしていることがある。
今朝は部活に行っていないわけか。
掛けられた言葉を深く考えずに応えると、比呂士が渋い顔をした。
「そんな様子では危険ですね」
比呂士は眼鏡を上げてそのレンズを光らせる。
始まった。
結局、比呂士は説教がしたいだけだったってことだ。
「いいじゃない、音楽聴くくらい」
「イヤホンを禁止するつもりはありませんが、せめて雨の日はやめましょう。そうでなくても周囲の音が聞こえづらいのですから」
「大丈夫だってば。ちゃんと周り見てるし」
「私の存在にも気付かなかったのに、ですか?」
言葉に詰まる。
これは問答を続けても、あまりいいことにならなそうだ。
「もう、わかったわよ。雨の日はするなってことね」
適当にあしらい、1時間目の準備を始める。
今度からは周りをよく見回して注意しますよーっと。比呂士に見つからないためにね。
心の中で舌を出しながら、目に入った教科書で思い出したついでに話題を変えた。
「そうだ比呂士、塾の宿題で聞きたいところがあるの」
切り出した内容が前向きなものだったせいか、比呂士はそれ以上追及することなく普通に応じた。
「ええ、構いませんよ。今日の部活後にしますか?」
「そうね。じゃあ比呂士の家でいい? 一度取りに帰ってから行くわ」
「わかりました。お待ちしています」
一旦帰宅し、テキストを取ってすぐに家を出た。
傘を開く前に、再度イヤホンを取り出す。
あまり近くまで着けたままでいると、また比呂士にバレるかもしれない。
適当なところで外そうと目論みながら再生ボタンを押した。
なにも急いで聴かなくてはいけない理由はないけれど、買ったばかりのアルバムだ。次の曲まで……とつい欲が出て、聴きだすとなかなか止められない。
ま、いいわよね。
音楽を聴くかどうかなんて私の自由なんだから。
朝よりも雨足が強くなっていた。
傘に降り注ぐ雨の音がザーザーとうるさく、かけた音楽が良く聞こえない。
少しずつボリュームを上げる。
車の走行音やら何やらで、外って結構やかましいものだ。
信号で立ち止まり、時間を確かめようとスマホを出す。
予定通りだし、連絡は別にいいか。
スマホを鞄に戻したとき、隣に人の気配を感じハッとしたのと、微かに「さん」と聞こえたのがほぼ同時だった。
慌てて両耳のイヤホンを外す。
「きゅ、急にびっくりするじゃない」
いつの間にか、傘をさした比呂士がすぐ横に立っていた。
極力動揺を隠しながら、イヤホンを鞄に突っ込む。
「何度も声をかけました。あれが聞こえないようでは、相当大きな音で聴いているのですね」
周りに気を配って、よく注意していたつもりなのに。
それでも比呂士が近づいてきたことに全く気付けなかった。
これって本当に危ないことなのかもしれない。
少し、恐ろしくなった。
比呂士が厳しい眼差しで私を見つめている。
何も言いだすことができなくて、比呂士と二人、お互いに黙り込む。
遠慮なく降り続ける雨の音が耳障りだった。
信号が青に変わり、メロディ音が流れ始める。
「……家へ参りましょう」
比呂士が静かに歩き出す。
ここでごめんなさいと言えばよかったかも。
そう思っただけで口にできないまま、比呂士の少し後ろをついて行った。
***
罪悪感でいっぱいの気持ちを抱えながら、比呂士の部屋に入る。
比呂士は私の腕を引きながらベッドに腰かけた。
……やっぱりお仕置きをされるんだ。
約束を破ったのだから当然だ。
促されるままに、膝へ横たわる。
素直に応じたものの、この体勢になると少しずつ恐怖心が出てきていた。
何を言われるんだろうか。
愚かな行為だったことを責められるんだろうか。
怖い。
それでも、何らかの罰を受けないと私自身の収まりがつかない気がしていた。
危険なことをしたという自覚があったせいかもしれない。
「さん」
呼ばれただけで体が跳ねる。
反射的に比呂士の脚へしがみついた。
「これからお仕置きをします。理由はわかりますね?」
言葉にして答えることはできず、黙ってコクリと頷く。
ゆっくりとスカートが捲り上げられる。
下着に手がかかるのがわかって、強く目を瞑った。
瞑ったってどうにもならないのだけど、この瞬間は落ち着いていられない。
パシンッ! と平手が落とされる。
声を漏らすまいと歯を食いしばるが、すぐさま二打目、三打目が振ってきた。
いつもより幾分早いテンポでお尻の左右を交互に打たれる。
私が納得してお仕置きを受けているのだから、特に言うこともないということだろうか。
その代わり……かどうかは知らないが、手には力が込められていて、緩まることなく平手は降ってくる。
あっという間にお尻がヒリヒリと熱くなってきて、着実にダメージが蓄積しているのを感じた。
約束を破ったのは悪かったと思っている。
今日の行動は本当に危なかったというのも理解しているつもりだ。
だから、ここまでおとなしくついてきたし、こうして従っている。
ちゃんとお仕置きを受ける姿勢を見せているのだから、こんなにめいっぱい叩くことないじゃない。
厳しい平手を浴びながら、比呂士の制服を握り締める。
「ぅあ……っ……」
叩かれるにつれ堪えきれなくなった悲鳴が、口元からこぼれた。
体が動いてしまうのを止められない。
膝が勝手に曲がって、お尻を庇うように足先が上がった。
比呂士は小さくため息をついて、跳ね上げたまま固まっている私の脚を、手でゆっくりと戻す。
それが再び振りかぶられる前に、慌てて声を出した。
「……ねぇっ……もう、……いいでしょっ……?」
どれくらい続くの? あと何回で終わる?
そうした不安に耐えられなくなって、余計な一言が口をついて出た。
求められているのはこんな言葉じゃないと知りつつも、私は肝心なことを言えない。
比呂士は意味ありげに息を深く吸い込み、そして吐く。
「その様子では、まだ反省が足りないようですね」
何か言い始めると思ったけれど、降り注がれたのはお説教ではなく一際強い平手だった。
バチンッ! という衝撃にたまらず声をあげる。
「あぁっ!」
比呂士はさっきよりペースを落としながらも、一打一打を重く、厳しい手つきにして打ち据え始めた。
すでにジンジンと疼いていたお尻が悲鳴を上げる。
いいや、悲鳴を上げたのは私だ。
「あっう……っ……いたっ……あぁっ……!」
謝らなきゃ。
謝ったら終わりにしてもらえるって、わかってるのに。
たった一言「ごめんなさい」と言えないのが自分でも不思議で、わけがわからなくて、呆れを通り越して泣けてくる。
目の奥からじわり、と熱いものがこみ上げた。
頬に流れてしまわないように、人差し指でそれを拭ってみたけれど、指で拭いきれる程度の量で止まってはくれず、雫がベッドへ落ちる。
隠すようにシーツを擦っても、水滴の跡は消せない。
次々に落ちる涙で、濡れ染みはますますに広がっていく。
鼻を小さくスンとすすると、比呂士は手を止めた。
泣いていることに気づかれたのだ。
それがわかって更に目元がギュッと痛み、涙が落ちていった。
「今日のような雨の中でイヤホンをつけていて、周囲の音は聞こえましたか?」
ふるふると首を横に振る。
「そうでしょうね。ですから私は、雨の日はやめましょうと言いました。さんもそれに了承したはずです」
叩かれなくなったお尻は、瞬間的な刺激よりも、熱がこもるような痛みのほうが強くなった。
比呂士の声とともに、チリチリとした疼きが私を責め立てている。
「しかしさんはまた、同じことを繰り返しましたね。それでお仕置きをすると決めました。今後よく気をつけてほしいからです」
そこまで言って比呂士は一呼吸置き、私の背中にそっと触れた。
「……さんの言葉も聞かせてもらえませんか」
謝れない私が言いやすいように、考えてくれたんだ。
絶対子どもみたいだと思われてる。
せっかくの配慮なのに、それがかえって恥ずかしくて抵抗が生まれてしまった。
鼻をすする音だけが室内に響く。
いつまでも何も言えないでいると背中から手が離れていき、不意にパシンッ! とお尻へ衝撃が走る。
「ひあぁっ!」
それは一発だけでなく、雨のように次々と降り注がれていく。
また、怒らせてしまったんだ。
もう許してもらえないかもしれない。
不安と恐れと痛みとが混ざり合った感情で押しつぶされそうになる。
「ごめんなさいっ……!」
ここまで追い詰められてやっと、謝罪の言葉が出てきた。
それでも比呂士の手は止まらない。
すぐに謝れなかった罰だろう。
「ごめんなさっ……、比呂士っ……あぁぅっ……ごめんなさぁいっ……!」
大粒の涙がボロボロと落ちる。
結局こんなになるまで、私はごめんなさいが言えないのだ。
しばらくの間、さっきまで言えなかったごめんなさいを何度も何度も口にしていた。
「……今日は素直にお仕置きを受け入れてくれましたね。さんが自分で、危険なことだったと気付いているのだと感じましたよ」
平手とともに、比呂士の落ち着いた声が降ってくる。
「大音量の音楽をイヤホンで聴き続けるのは、耳のためにも良くないでしょうね。それも気がかりです」
「ひっ……く……あぅっ……!」
「口うるさいとお思いでしょうが、さんを心配しているだけなんですよ」
一打一打が沁み入るように体に響く。
お尻は痛いけれど、比呂士の言葉が抵抗なく胸に入っていった。
「最初の約束通り、雨の日にはしない、ということを守れますか?」
「守るっ……! 守るからぁっ……! ごめんな、さいっ……!」
叫ぶように答えて、ようやく手を止めてもらえた。
「……宿題は、できそうですか?」
立ち上がって乱れた服を直す中、比呂士がそう言ったことで本来の目的を思い出す。
そうだった。塾の宿題を見てもらうために来たのだ。
だけど今はとにかくお尻が痛くて、勉強どころではない。
口をつぐみ、はっきりさせないでいると、ふんわりと頭を撫でられた。
そうしてそのまま柔らかく抱き寄せられる。
ベッドに腰掛ける比呂士の膝に、向かい合わせで座る形になった。
これならばお尻が当たらなくて、少しは痛みもマシだ。
「明日にしても結構ですし、さんのご希望通りにしますよ」
肩に頭を預けると、比呂士の体温が感じられた。
さりげなく腕を回し、ギュッと抱きつく。
「……今は、まだ……このままでいたい」
「わかりました」
比呂士は穏やかに笑って、私に甘える時間を与えてくれた。
<あとがき>
幸村くんたちに続き、雨の日エピソードその2。
別のところで似たようなことが起こっていたりする。
20.06.30 UP