Secret -忘れ物ふたたび-

幸村精市

9月12日(金)
デフォルト名:安達 晴香



 教室に着いて時間割表を見上げ、あっと声が漏れる。
 また彫刻刀、持ってきてない。
 先週も忘れたんだっけ。家で捜そうと思ってたのに。
 
 ……どうしようかなぁ。
 こんなときは隣のクラスの精市に貸してもらうのだが、今日はそんな気になれなかった。
 つい数日前、度重なる忘れ物を咎められたばかりだからだ。
 お仕置き付きで、みっちりと。

 というか、忘れ物くらいであんなに怒る必要ある?
 なにも泣くほど叩くことないじゃないの。
 あれじゃ本当に子どものお仕置きだ。
 実際にお仕置きで間違っていないのだろうが、なんだか釈然としない。
 
 それじゃ何だ、私はもっとプレイっぽいものを求めているのか?
 いやいや、それはない。
 それはないのだけど、とにかくだ。
 今日は精市に借りるのはやめておこう。
 
 
 忘れ物組は先生の私物を貸してもらい、譲り合って使うことになった。
 しかし4時限目の授業時間内に仕上げることはできず、昼休みに引き続き作業するよう命じられた。
 さっさと版画に取り掛かるべくご飯を掻き込む私の隣で、友人がゆっくりお弁当箱を広げる。
、珍しいね。幸村くんに借りられなかったんだ?」
「……ん、まぁね」
 少しだけ箸を止めて曖昧な返事をすると、目の前に彫刻刀セットが差し出される。
「そっか。はい、私の使いなよ」
「ありがとう。帰るまでには返すね」
 珍しい、か。
 そうだよね、今日だけ借りないなんて、友達にもおかしいと思われただろうな。
 忘れ物をすると、やっぱり不便だ。
 結局こうして先生や友達に貸してもらうことになるんだし。
 気を付けた方がいいぞ、私。
 
 早々に昼食を終え、作業を再開したときだった。
「仁王と丸井、ちょっといいかな」
 突如聞こえてきた精市の声に、手を滑らせそうになる。
 刃物を持ってるんだから、取り乱したら危ない。落ち着かなきゃ。
 おそらくはテニス部の用事だろう。
 私は呼ばれていないのだから、知らん顔でいいのだ。
 気にしない、気にしない。
「……あれは何をしてるんだい?」
「あぁ、美術の課題が終わってねーヤツは昼休憩で完成させろって言われてんだ」
「…………ふぅん」
 丸井くんの話を聞いた精市がどんな顔をしていたかは、背中を向けていたせいでわからなかった。


 放課後、テニス部の練習が終わるのを昇降口で待っていた。
 ボーッと靴箱の前に立ち、ペンキの塗りムラを眺めていると、後ろから肩が叩かれる。
 精市だ。
「お待たせ。帰ろうか」
「……うん」

 歩き出した私たちに会話はなかった。
 気まずいというほどではないけれど、二人の間に流れる沈黙が気持ちを焦らせる。
 いつもどんな話をしてたっけ?
 何か話さなきゃ、と思うけれど、話題が何も浮かんでこない。
 
「今日は妙に大人しいね、どうかした?」
 話の口火を切ったのは精市だ。
 その笑顔に目を合わせられなくて、視線を外す。
「別に、いつもと同じだよ」
 努めて普段通りに振舞おうとするのだが、なんとごまかしが下手なんだろう。
 これじゃ何かありますと言っているようなものだ。
「ねぇ、何か俺に隠してることがあるんじゃない?」
 精市が意地悪い笑顔で覗き込んできた。
 たまらず顔を背ける。
 またも不自然な行動を示してしまった。
「彫刻刀、また忘れたんだろう?」
 ……こういうときばっかり鋭いんだから、この男は。
 
 精市を見れば、怒っているわけではなさそうだった。
 むしろ、お仕置きを恐れて忘れ物のことを言えなかった私が、おかしくて仕方ないといった様子だ。
「そうだけど……」
 観念して認めると、精市はクスクスと声を立てる。
「言ってくれればよかったのに」
 からかうような笑みで、精市は私の頭を撫でた。
「俺に怒られるのが怖かったんだ?」
「そりゃ、まぁ……」
 前回あれほど怒られれば隠したくもなる。
 後悔と反省の表れだと思ってほしいものだ。
「この前は泣くまでお仕置きされちゃったもんね?」
 もてあそばれているのが悔しくて目を伏せると、精市はフフッと笑った。
「顔、赤いよ」
 指摘され、慌てて両頬に手を当てる。
 確かに耳まで熱い。くそぅ。

「もー、あんな風に怒られたらトラウマにもなるっての」
 ヤケになって大きな声を出すが、精市にはそれすら面白いらしい。
「でも忘れ物はするんだ? 懲りないなぁ」
 確かにそうだ。
 自分の図太さにうんざりする。
「人ってそうそう変われないものなのね。つくづくそう思う」
「こんなに怖がってくれるなら、効果はあったみたいだけどね」
 怖がってなんか……と反論したいが、言えば言うほど精市に笑われそうだから飲み込むことにした。

「で、怒ってるの? 怒ってないの?」
 逆切れのように言えるのは、答えがわかっているから。
 精市が、優しい眼差しを私に向ける。
があんまり可愛いから、今日は許してあげるよ」

 ポンポン、と再び頭を撫でられる。
「授業で困っただろう? また借りに来ていいから」
「……でもお仕置きなんでしょ?」
「何度も繰り返したときにはね」
「4回まではセーフ?」
「そんな考えだったらお仕置きが必要かもね」
 芝居っぽく鋭い目つきを作った精市が、ニヤリと薄笑いを浮かべる。
「……今のは無しでお願いします」
 意気地がない私の発言に、精市は作っていた表情を緩めて笑い声を漏らした。




<あとがき>
 スパシーン以外でのスパ的会話をさせたい!
 そういう願望のもと書いているシリーズです。こういうのがやりたかった。


18.04.15 UP