Secret -忘れ物みたび-
幸村精市9月19日(金)
デフォルト名:安達 晴香
C組の教室を覗くと、精市はすぐ私に気付いて顔を上げた。
小さく手招きして扉まで呼ぶ。
一応申し訳なさそうな表情を作って、だ。
精市は困ったように笑いながらやってきた。
「はいはい。今日はなんだい?」
そう言って腕を組み、壁に寄りかかって首を傾げる。
話が早い。何の用事か勘付いているようだ。
「精市、あれ持ってない? イオン式一覧プリント」
理科の? と尋ねられ、努めてしおらしい態度で頷く。
家で見てたら忘れちゃって……と聞かれてもいない言い訳を連ねていたら、精市は「あるよ」と一度机に戻り、プリントを差し出してくれた。
「今日は使わないから、返すのは帰ってからでいいよ」
「ごめん、ありがとう……じゃあまた、放課後ね」
立ち去る前に、胸の前で手を合わせる。
精市はにっこりと笑みを浮かべて、軽く手を振った。
***
9月も下旬に差し掛かったとはいえ、まだまだ暑い。
閉め切られていた精市の部屋は湿気に満ちていた。
首元がじっとりしてくる。歩いている間より、動きを止めたあとのほうが汗が噴き出してくるのは何故なんだろう。
どうぞ、と出されたグラスに早速口をつける。
「あー、お茶がおいしい。今日は蒸すね」
「少しクーラーをつけようか」
ピッという電子音を背中で聞きながら、お茶を一気に飲み干した。
定位置であるベッドに座る前に、やるべきことを思い出して鞄を探る。
「そうだ、プリントプリント……」
借りていた用紙を取り出した。
それを受け取った精市は、じっと私の目を覗き込んで、口角を緩く上げる。
「今週3回目、だよ」
言葉の裏にあるものを、心臓が真っ先に察知しドキンと弾む。
完全に、気を抜いていた。
「えっ……嘘、3回でっ……?」
「やっぱりそんな風に考えてたんだね」
私の反応を予測していたのか、精市は間髪入れず答えた。
汗が背中を伝ったのは、暑さのせいだけではないだろう。
週明け、昨日、そして今日と、二つ返事で貸してくれたのに。またあの笑顔に騙されたのか、私は。
手際よくプリントを鞄にしまう精市に、たまらず問いかけた。
「あの、ちょっと、早くない?」
「この前もうしないって言ったばかりなのに、早いのはのほうじゃないかな」
振り返った精市が腕を組む。
睨んでいるとかそういうわけではないのに、静かな気迫があった。
その目に射抜かれ、突っ立ったまま動けなくなる。
だって仕方ないじゃん、新学期っていろいろ忘れちゃうものだよ。夏休みに全部持って帰ってるんだしさ。
あぁ、また言い訳ばかりが頭に浮かぶ。
こんなもの、見苦しい自己弁護でしかない。
鞄の横で立ち尽くす私へ、精市は冷静に説く。
「貸してあげるって話はしたよ。でも、気にせず忘れ物して構わないとまで言った覚えはないんだけどな」
「わかってる、わかってるよ精市、だから、本当にあの、ごめんなさいっ……」
お仕置きだと明確に宣言されたわけでもないのに、私たちの会話は不思議と成り立っていた。
精市はゆったりとした歩みでベッド横まで移動する。
それからおもむろに腰掛け、両膝に手を置いた。
「おいで」
私を呼んでいるが、とても従う気にはなれない。
せめてもの抵抗で床にペタンと座り込む。
「待って精市、明日から本当に気をつけるから!」
「残念だけど今日は見逃してあげられないな。少し続きすぎだよ」
精市の言うことはもっともだ。
だが、どうしても「わかりました」とは言えなかった。
なんとか許してもらえるよう懇願するしかない。
「もう今すごく後悔してる、反省してます、絶対これからは忘れ物しない! だから、ね、精市」
拝むように手を擦り合わせていたら、精市は駄々っ子に向けるような目で微かに笑った。
「今日のは素直じゃないんだね。前は大人しくお仕置きを受けてたのに」
そりゃそうだ、お尻を剥かれて泣かされるなんて思ってなかったんだから。
ああなるとわかった今はもう、とても膝になんか乗れやしない。
「だって、その…………」
「まったく、しょうがないな」
精市は立ち上がり、私のもとへ迫ってくる。
「えええぇ、ちょっと、本当に待ってよ、もうわかったから、精市、お願い、ねぇ」
「ほら、おいで」
目の前に差し出された手を取ることができない。
視界に入る大きな掌に、心臓が波打つ。
「せ、精市……」
「駄目だよ、ちゃんと反省しよう」
「いいよもう反省してるからっ……!」
「往生際が悪いよ」
両脇を下から掴まれたかと思うと、フローリング上を滑るように引きずられる。
こっちは全体重をかけて踏んばってるのに、なんつー力をしてるんだ、この男。
ベッドまで来ると、精市は私を楽々と膝に乗っけた。
「前のじゃ足りなかったみたいだから、今日はしっかりお仕置きしないとね」
精市の声に、ビクッと体が震える。
まだ始まってもいないのに、怖くてたまらない。
スカートに触れられただけで体が硬直した。端から丁寧に捲られて、次は下着に指が掛かる。
……やっぱり、下ろされるんですよね。
服のままお仕置きに入るんじゃないかという淡い期待が打ち砕かれるとともに、早くも不安に襲われる。
エアコンの風が、薄っすら滲んだ汗の存在を教えてくれた。
暑いやらぞくぞくするやらで、体がおかしくなりそうだ。
下着が膝まで下げられると、早速平手が飛んできた。
「あっ、う……」
そうだ、これこれ。この感覚。
じんわり広がる痛みに伴って、思い出したくない記憶が呼び起される。
続けざまにパシンッ! と打ちつけられ、シーツを握りしめた。
「ご、めんなさいっ……」
謝ったくらいでは許してもらえないとわかっていても、ついこの言葉を口走ってしまう。
だって私にはこれしかないのだから。
こんなにも反省しているのに、謝る気持ちがあるのに、ごめんなさいを言うことしかできなくてヤキモキする。
神様、私に表現力をください。
精市に伝わればそれで結構ですから。
「。今月に入って何度忘れ物したんだろうね?」
言いながら精市は右手を振り抜く。
「っ……、そんなの、数えてないって……」
「数えきれないくらい、ってことかな」
違います、という反論は鋭い一打によって阻まれた。
「あっ……ぅ……!」
「9回だよ。ちょっと多すぎるよね」
言われる通り、確かに多い。
休みボケにしても度を越している。
自分でも思うほどなのに、それを精市に指摘されているというのが情けなくてたまらない。
「この前、大目に見てあげたのがいけなかったかな。今度から忘れ物のたびにお仕置きしたほうがいいのかい?」
「っ…………」
こみ上げる涙をグッと飲んで、首を小さく横に振る。
正直言って、気の緩みはあった。
前回怒られずに済んだことにすっかり安心して、油断していたのだ。
なんなら今後、精市から叱られることはないんじゃないかと、浅はかにもそう考えていたくらいだ。
一つ、また一つと平手を食らうごとに、後悔の念に駆られる。
忘れ物なんて、ちょっと気をつければ防げたはずだ。
精市が貸してくれるから、と本気で対策してはいなかった。
こうして怒られるのだって、今日が初めてじゃないというのに。
前にも注意され、泣いてごめんなさいと言ったにもかかわらず、性懲りもなく同じことで叱られて。
悪びれず忘れ物を繰り返す私に、いつか物申してやろうと精市は思っていたわけだ。
そんな気も知らずにへらへらと、頭を下げてりゃ大丈夫なんて考えで、なんと愚かな私だろうか。お前いい加減にしろって、昼間の自分を殴りたい。
いやそんな超次元的なことをせずとも、今現在お尻を叩かれ、反省させられている真っ最中だ。
私のルーズさを非難するように、精市の手が責め立てる。
「こんなにも懲りてないとは思わなかったよ。今日はが泣いても、反省するまで許さないからね」
「いやっ……ごめんなさいっ、精市っ……! ごめんなさいっ……!」
神へ祈ったくらいで急に口が上手くなるはずもなかった。
私の頭はまともに働いてくれず、ワンパターンの謝罪を乱発するだけだ。
「ご、めんなさいっ……ごめ、なっ、さいっ……!」
反省するまで許さない、という言葉の通り、手加減というものを一切感じさせない平手打ちが降り注がれる。
この前お仕置きされたときから薄々感じていたけど、もしかしてこの人、怒らせたらめちゃくちゃ怖いタイプなんじゃないだろうか。
付き合って3年目にしてようやく気づいた事実に、冷や汗が浮かんでくる。
優しいだけの男ではないと知っているつもりでいたが、目の当たりにすると想像以上だ。
涙が、私の許可なく溢れ出ようとしていた。
泣きたいわけじゃない。泣いたって許されないらしいし。だったら泣くだけ損だ。
一応、私にだって見栄というものがある。
彼氏に叱られる、までは百歩譲って仕方ないとしても、お尻を叩かれて泣くってのは、どうにか避けたかった。
そう思って辛抱していたけど、程なくして私の我慢はあっさりと限界に達した。
打ちつけられた手が離れる瞬間、どうしようもないくらいの痛みがジーンと響いているのに、次の一発がすぐにやってくる。
延々、その繰り返しだ。これで泣くなというのは無理がある。
声も涙も跳ねる体も、何もかもが抑えられない。
懸命のごめんなさいは、果たして精市の耳に入っているのか。
そう思うほどに、威力が緩められることはない。
落ちた涙で湿り気を帯びてきたシーツを、ぎゅっと掴む。
「ごめん、なさいっ……もう、しなっ、ぃっ……!」
「本当かなぁ? 前にもそれ、聞いた気がするけど」
冷淡な返事が胸に突き刺さる。
この前お仕置きされた日、私はもうしないと言った。そう言って許してもらったのだ。
約束をふいにした以上、説得力などないだろう。
それでも言うしかないのだ。
今度こそ絶対にもうしないと誓って。
「ほんと、だか、らっ……ごめ、なっ、さぃっ……うぅっ……」
「反省するのはお仕置きの間だけ?」
振り抜かれた平手が、一際大きな音を鳴らす。
「せいい、ちっ……ぅっく、……意地悪、言わないっ、で、よぉっ……!」
絞り出すようにわめくと、クスリという笑い声がして、不意に後ろ頭を撫でられた。
「もう、そんな可愛いこと言ったって駄目だよ」
媚びていると思われただろうか。
私はただ許してほしいだけだってのに。
そんなつもりじゃないと言いたかったけど、悠長に説明をする余裕などなく、再びごめんなさいと呟くことしかできなかった。
心なしか、お尻を叩く力が弱められた気がした。
もしくはあまりの痛さに、感覚が麻痺したのかもしれない。
「、本当に反省できたんだね?」
「できたっ……ほんとにっ……反省っ、してる、……ぅっ、からっ……ぅ……」
「じゃあ、これで終わり」
パシン! と叩かれたのを最後に手が止められた。
下着を上げたくて手を伸ばすが、このままの姿勢じゃ届かない。
上体を起こそうともがいていたら、精市に助けられた。
服を戻してベッドに腰掛けると、接地面がじんわり熱くなる。
指先で目を擦り、ついでに額に浮かんだ汗も拭う。身体のあちこちがベタベタだった。
精市が手を伸ばしてきたけれど、汗だくの体に触れられたくなくて、やんわりと押しやる。
スキンシップのつもりか知らないが、今はお断りである。
こっちはまだ鼻水も止まってないのだ。乙女心を汲んでほしい。
精市は引っ込めた腕を、胸の前で組んだ。
「があんなこと言うから、ペース乱されちゃったよ。今日はもっと厳しくしようと思ってたのに」
「っ、あれで!? じゅうぶん、厳しかったって!」
鼻をすすり上げながらも、すかさず反論する。
私がいつもの調子で返したせいか、精市は顔をほころばせた。
前回同様、お仕置き後の精市は笑顔だった。
きっと怒っていただろうに、お仕置きが終われば精市はちゃんと許してくれる。
器の広さに、また甘えてしまいそうだ。
見上げる視線に気付いたらしく、精市が目を覗き込んでくる。
「どうしたんだい?」
「……もう本当に、忘れ物はしないから。ごめんなさい」
精市はクスッと笑みをこぼす。
「二度と忘れ物するな、なんて言わないよ」
「それでも、絶対にもう忘れない」
これで懲りたから、と改めて言い切る。
私の宣誓に対し精市は、わかったと頬を緩めた。
そして私のおでこを軽くなぞりながら、穏やかな目で言う。
「は、ごめんなさいがちゃんと言えて偉いよね」
……そんなところを評価されるだなんて。
突然の褒め言葉が、何だかくすぐったい。
「それは、……許してほしいから、謝るしか、できないし……」
「なかなか言えない人も多いよ」
偉い偉い、と重ねて褒められ、頭を撫でられる。
完全に子ども扱いだったけれど、まんざら悪い気はしなくて、少しだけ精市のほうへと体を傾けた。
<あとがき>
忘れ物エピソード完結編でした。
いつになく必死になって抵抗するちゃんが可愛くて仕方ないと、幸村が思ってたらいいなと思います。
ちなみに、さんは本当にいい子なのでこれ以降マジで忘れ物しなくなると思います。
いや、またどこかで気が緩んでお仕置きされちゃう話を書いてもいいんですけどね。
でもやっぱり、うっかりすることはあっても、忘れ物でお仕置きされるほどのことにはもうならない気がするな。そういう子のイメージです。
18.09.25 UP