Secret -赤信号-
幸村精市9月21日(日)、22日(月)
デフォルト名:安達 晴香
デートの帰り道、二人分の長い影を追いかけるように歩く。
草木の色や大気の匂いが、秋の気配を感じさせている。
昼間はまだまだ暑いけれど、だいぶ日が短くなったものだ。
とはいえ、時刻は夕方5時。帰宅するには早い。
このあとは例のごとく、精市の部屋へ寄るコースだ。
ほんの30分や1時間のことだし、何をするわけでもない。
だけど、少しでも長く一緒にいたいというだけの理由で、ギリギリまでお茶を飲みながらおしゃべりするのが恒例となっていた。
数メートル先の歩行者信号が点滅する。
急げば間に合いそう、という微妙なところだ。
諦めて止まるか、早足になるか、判断しづらくて悩ましい。
「行けるかな?」
言いながら走りだす寸前に、信号は赤に変わる。
大丈夫だと思って足を出したのだけど、「待って」と腕を引かれた。
ププーッ! と、けたたましい音が交差点に響く。
右折してきた車が、目の前を通り抜ける。
精市は私の腕をたぐり寄せるようにして、後ろから肩を抱いた。
「危ないなぁ、赤だよ?」
わりに冷静で落ち着いた声だった。
精市から見て、轢かれそうというほどではなかったのだろう。
けれども危険な行為には違いない。
車との距離は十分にあったものの、一瞬ヒヤッとした。
今ごろになって心臓がドキドキと速くなる。
「いや、行けそうだと、思って」
「車が来てたじゃないか」
「見てなかった……ごめん、ありがと」
鼓動が落ち着いてきたころ、信号は青になった。
少し待てばいいだけだったのに、何を急ぐ必要があったのやら。
横断歩道を渡り切った辺りで、精市が口を開く。
「いつもこんなことしてるのかい?」
「ときどきね、行けそうなときは……」
まったく、と精市が渋い顔になる。
「もしもが事故に遭ったらって、考えるだけで血の気が引くよ」
精市は冗談めかして大げさに頭を振った。
「……ハイ、私が悪かったです」
ぼそりと言うと、精市が少し表情を緩める。
だが眼差しは真剣だった。
「真面目な話、本当に危ないと思うよ。その様子じゃまた繰り返しそうだから、帰ったらお仕置きにしようか」
その言葉に、ひっ、と体がすくむ。
慌てて両手をぶんぶんと、全力で横に振った。
「いやいや、いいです! もうやめますから!」
「本当かい? 怪しいなぁ」
これはまずい。
またお尻を叩かれる羽目になりそうだ。
どういうわけかここ最近、精市はお仕置きというものに凝っているようだった。
由々しき事態である。
いつであっても勘弁願いたいが、今日は特に困るのだ。
そこで私は、あのワードを思い出した。
「ま、待って! ストップストップ!」
制止するように手を突き出すと、精市がキョトンとした顔で私を見る。
「あのね、明日、水泳なの……」
おかしな切り返しにも思えるけれど、意味を問われはしなかった。
「そうなんだ。じゃあお仕置きされたのがみんなにわかっちゃうかもね」
精市は言いながら不敵に笑う。
瞬時に意図を理解してくれたのはいいが、やめてくれなきゃ意味がない。
「ちょっとちょっと! ストップって言ってるでしょ!?」
慌てる私に、精市は冗談だよと笑ってみせた。
意地が悪い。
「この前は痕が残ったのかい」
「それはわかんないけど……」
「わからない?」
「だって、わざわざ自分で見ないから」
心配するほどではないのかもしれないが、万一ということもある。
水泳の授業中、赤みの残ったお尻を晒し続けるなんてことになったら最悪だ。
「今度から次の日に確認しようか。そんなになるまで叩いてないと思うけど」
「いいって、結構です」
「とりあえず、そういうことなら今日はお仕置き無しだね」
笑顔の精市を見て、安堵の息を吐く。
どうにか命拾いした。
真面目な精市にも、柔軟性というものが備わっているらしい。
場合によってはお仕置きを回避することが可能だとわかったのは、大きな収穫だった。
少しばかり軽くなった足取りで進みながら、でもさ、と口にする。
「信号無視くらい、誰でもする……よね?」
お仕置きを免れて一安心したせいか、つい本音がこぼれた。
世間話として振ったのだけど、精市はニヤリとして私を裏切る。
「へぇ。そういう考え方なんだね」
「嘘、ちょっと待って! 絶対したことあるでしょ?」
「俺はしないよ、そんな危ないこと」
ここは同調するところでしょうに。
女は共感主義だと言われているのを知らないのか精市。
「今の撤回! なかったことにしよ!」
「もう聞いちゃったからなぁ」
慌てふためく私に、精市はクスクスと笑う。
私も乗ろうとしたけれど、上手く笑えなかった。
ため息をひとつ吐く。
せっかく二人の時間をもてるようになったのに、こんなこと続きで嫌になる。
視線を感じて隣を見ると、精市と目が合った。
「……私のこと、だらしないヤツだって、思ってる?」
精市は穏やかに目を細める。
「思わないよ」
顔では笑っているけれど、優しい精市のことだから本心はわからない。
歩きながら、自分の足元に目線を落とす。
「今のことだけじゃくて、遅刻とか、忘れ物とか……近ごろ、怒らせてばっかり」
ひがみっぽくグジグジ言っていたら、突然左手を取られた。
恋人繋ぎの形になり、手の平に精市の温もりが伝わってくる。
「不安にさせてごめんね。少しだけ俺の話、聞いてくれるかい?」
口がきけない子どもになったみたいに、黙ったままゆっくりと首を縦に振る。
精市も軽く頷き、改まった様子で話し始めた。
「このところ、小言が多くなっていたね。嫌な気持ちになったかな」
問いかけるような眼差しに肯定も否定もできず、頭を曖昧に傾ける。
「叱られるのは気分の良いことじゃないだろうけど、決してを責めてるわけじゃないんだよ。それはわかってほしい」
私が見上げると、精市は柔らかく微笑んだ。
「俺がを叱るのはね、のことが大切だからなんだ。好きな人には、間違ったことをしてほしくない」
どうやら『男は本命の女を叱る』説は、私の妄想じゃなかったようだ。
ごくありふれたセリフなのだろうが、精市の口から聞かされるとたちまち舞い上がってしまうのだから単純なものだ。
「でも急に、どうして……」
「そうか。には、急なことに感じられるかもね。うーん……部活の話になるけど」
精市は茜色の空を眺めて、ちょっとの間を置いてから続けた。
「立場的に、部員達へ注意をする機会って多かったんだ。テニス部のみんなには、ずいぶん厳しいことを言ったよ。たとえ嫌われてでも、成長するには必要だと考えていたから」
私の知らない、部活中の精市だ。
部長としての姿は数えるほどしか見ていない。
彼はずっと、そういう役割を担ってきたのだろう。
「おかげで俺達は強くなれたし、絆を深められた。大会が終わった今、それを実感しているよ」
キュッと、手がきつく握り込まれる。
凛とした横顔からは、部長の威厳が漂っていた。
「耳の痛い忠告は、互いを信頼しているからこそできるんだと思う。だから俺は、ともそんな関係を築いていきたいんだ」
その話は、私を納得させるには充分だった。
精市が急に変わったのではない。
これまで私が甘やかされていただけなのだ。
その特別扱いは良い意味でもあり、悪い意味でもある。
「……欠点があっても、幻滅しないで叱ってくれるってこと?」
そうだよ、と精市が力強く頷いた。
「がどんなことをしたってを好きな気持ちは変わらないし、絶対に見放したりしない。徹底的に向き合う覚悟だよ」
重みある言葉に、心が揺り動く。
精市に比べて私ときたらあまりに自己中心的で、ちょっぴり気が咎めた。
「……私のために、なんだよね。ちゃんと指摘してもらえるのは本当にありがたいことだから、その……精市の言ってること、よくわかった」
引き締まっていた精市の表情が和らぐ。
「理解してもらえて嬉しいよ」
微笑む精市に、私も笑顔で返した。
大切だから叱る。
こんなにも頼もしいことがあるだろうか。
頭の中で精市の言葉を反芻するうち、今まで以上の愛しさが湧き起こってくる。
この人を好きになって、本当に良かった。
そう考えていたのが伝わったのかどうかは知らないが、精市がクスリと声を立てた。
照れ隠しに、繋いだ手をゆらゆら振りながら仕切り直す。
「とはいえね、のっけからお尻ペンペンはロケットスタートがすぎるというか……遅刻のことで怒るってのも、こじつけ臭かったよね?」
「そんなこと思ってたんだ」
ストレートな私の発言に、精市が笑う。
「確かに、過ぎたことを叱るのは反則だったかな。それは謝るよ」
精市は納得したように、なるほどねと続けた。
「それで最初のころ、いまいち響いてなかったのか」
「精市は精市で、そんな風に思ってたの?」
人の心とはまったくもって読めないものだ。
その点については、お互い様である。
「なんだか腑に落ちてない感じの反応だったよ。お仕置き自体は受け入れてくれたように見えたけど」
また精市にからかわれた、くらいの認識だったせいだろう。
私には、叱られているという自覚が足りなかったのだ。
「えっと、言い訳するとね、遅刻したのは悪いと思ってたんだよ? あのとき遅れて着いて……」
「謝るタイミングを外しただけだろう? 大丈夫、わかってるよ」
「そうやって優しいから……」
「もっと厳しく言ったほうがいいかい?」
「いえ、そのままでお願いします」
小さく頭を下げてから、顔を見合わせてフフッと笑い合う。
なんだ、腹を割って話すって面白いじゃないか。
こういうの、喧嘩するほど仲が良いみたいな理想のカップル像だ。
無意識に口元がにやける。
今こそ本当に仲が深まる気がしていた。
「この機会に聞いちゃうけど、きっかけはアレ? スパンキングとかいう画像を見て、これだって思ったの?」
SMがどうこうと言いだしてあの写真に行きついたのは私の責任だ。
それが発端だとしたら、まさに自業自得といえよう。
「まぁ、そうなるのかな。少し懐かしくなってね」
「……うぇっ!? 経験あるの!?」
「あるよ、小さいころに」
私の素っ頓狂な声にもノーリアクションで精市は平然と答える。
「悪ガキだったからね、結構」
今の精市からすると少々意外だった。
しかし男児なんて、大抵みんなやんちゃか。
精市も例外ではなかったということなのだろう。
「……どんなことで?」
「うーん、物を壊すことが多かったかな。家の中でもラケットを振ってたし。あとは妹と遊ぶとき、力を入れすぎて泣かせちゃったりね」
なるほど、パワーが有り余ってたわけだ。
実に男の子らしい話である。
「んまぁ、元気なところはちょっとだけ想像できるかも」
「はお仕置きされた経験なさそうだね」
「ないない、そもそも怒られることがほとんどないよ。優等生だもん」
胸を張って答えれば、自分で言うかい? と笑われた。
「親が甘いから、成績良いだけで褒めてくれるの。学校で頑張ってるなら家では好きにすればいいって」
「が精神的に安定してるのは、たくさん褒められてるからなのかもしれないね」
「そうかなぁ。おだててやる気にさせようって作戦だよ、きっと」
「これは尚更、俺が叱る役目を引き受けないと」
え、と頬が引きつる。
軽い雑談のつもりが、妙な使命感を駆り立ててしまったらしい。
しかし、だ。
私の心は大いに浮き立っていた。
「……あのさ、精市」
だって、どんなことをしても好きだなんて断言されたら、もう怖いものはない。
精市から歩み寄ってくれているのに、拒否する理由などなかった。
「お仕置きって形は、私に合ってるかもなって気持ちが実はあって」
呟きながら、空いている手が落ち着かず、意味もなく髪を耳にかける。
「慣れてないからさ、怒られると引き摺っちゃうんだよね。でもお仕置きは言葉だけで叱られるよりも切り替えやすい気がして……。あ、もちろん聞き流すわけじゃないよ? インパクトは絶大だし、心には残ってるから、反省はその、長続きすると思うけど……」
何回も忘れ物してた私じゃ信用ないか……と独り言のようにボソボソ言っていたら、精市が顔をほころばせた。
「ありがとう。愛情をもってきっちり叱るから、安心して」
握られていた手が離れていったかと思うと、それはポンと頭に置かれた。
「が気に入ってたお茶、用意してあるよ」
いつもの生け垣が目に入る。
幸村家はすぐそこだ。
***
翌日は見事なまでの晴天になった。
水泳の授業が午後だったこともあり、9月下旬とは思えないほどのプール日和だった。
放課後になっても頭が濡れていたら精市の家でドライヤーを借りるつもりでいたけれど、暑さで見事に乾いていた。
部屋へ続く階段を上がりながら、ところどころ固まった髪の毛を指先でほぐす。
私がプールバックを置いたのを見て、精市が思い出したように言った。
「良い天気でよかったね」
「そうだね、暑いくらいだったよ」
「今日が最後?」
「うん、もう終わりだって」
「じゃあ、昨日の続きといこうか」
「え?」
途端に体が硬直する。
会話の流れがおかしくはないだろうか。
「そういう話だっただろう?」
言いながら精市はベッドに腰を下ろした。
「そう、なの……?」
ストップって言ったらお仕置き無しになるんじゃ、なかったんだ?
考えてみれば当然のことだった。
ストップが適用されるのは、あくまで非常事態の間だけなのだ。
精市が、おいでと手を伸ばしている。
ここまで来るとごねても仕方なかった。
「昨日、なんだか悪いこと言ってたよね」
うつ伏せにされる最中、不意に精市が口を開く。
「“信号無視なんてみんなやってる”だっけ?」
ちょっと、こんな状況で思い出さないでほしい。
怖くなってくるじゃないの。
「い、言いましたっけ、そんなこと……」
「みんなやってるからいい、だなんて子どもの言い訳だよ」
そこで精市は一度言葉を止め、クスッと笑う。
「でもそんなこと言うんだね」
精市は私を聖人君子と勘違いしているんじゃないだろうか。
しかし改めて聞かされると、確かにガキっぽい。
心持ち空気が緩んだのをいいことに、チラリと振り返った。
「あの精市、私は別にそんな優れた人間というわけでは……」
「いいんだよ。そんなところだって可愛い」
なにげなく言われて、頬がほんのり熱くなる。
頭を少しだけ撫でられたが、すぐ制服に手が掛かった。
「可愛いと思うけど、注意はさせてもらうよ」
柔らかく言うが、声からは揺るぎない意志が感じられた。
この優しい手つきも、そう長く続かないことは知っている。
下着が膝まで下ろされた。
そしてもうじき、同じ人とは思えないほど強烈な平手打ちが繰り出されるのだ。
もう、腹をくくるしかない。
見たところ、精市はカンカンに怒ってるわけではないのだろう。
大切だから叱ると言っていたくらいだ。私を痛めつけようって気はない。と思う。たぶん。
反省の色さえ示せば、そのうち許してくれるはず。
ああでも、こんな考えでいることを見透かされたら、ずっと叩かれることになるかもしれない。
本当に心の底から反省しよう。
反省。反省。
反省の色ってどんな色?
見せようとしても見せられない、反省という概念め。憎らしい。
パシン! と一発目が振り下ろされ、体が跳ね上がる。
始まってしまった。
従順に受け入れるつもりだったのに、お尻へ痛みがやってくるとその気持ちは霧散する。
例のごとくごめんなさいだけは口にするが、胸の中では反省と程遠い感情が渦巻いていた。
こう言っては身もふたもないけれど、ただただ早く終わってほしい。
一日置いてのお仕置きってのは、わりと精神的に辛かった。
いささか鮮度が落ちていて、大人しく叱られモードになれない。
何だっけ、信号無視? そのくらいでこんなに怒らなくても、という思いが頭を満たす。
どうしたら許してもらえるんだっけ。
なんたって私は、反省を伝える方法を未だ掴めていないのだ。
このままじゃ今日も、わんわん泣くまで叱られるんだろうか。
それは御免こうむりたい。なにか手立てを考えなくては。
とことん弁明してみるのはどうだろう。
ならば、この体勢では不利だ。
叩かれながらじゃ、ごめんなさいしか出てこない。
落ち着いて交渉するには、向き合って座るべきである。
「ねぇ精市、ちょっと、聞いてほしいんだけどさ……」
「ん、なんだい?」
精市は私の申し入れに手を止めてくれた。
話を聞く気はあるようだ。
「体勢変えてもいい?」
「変えるって?」
「あの、顔見て話したいの。ダメかな?」
果たして、私の戦術は通用するのだろうか。
精市の言葉を待つあいだ、知らずしらず体に力が入る。
「……駄目じゃないけど、終わりにするわけじゃないよ?」
「うん、わかってる」
よーし、と心の中で呟き、一旦服を戻す。
そこまでの許可は得ていないが、まあ構わないだろう。
上半身を起こして、精市の隣に座り直した。
さて、勝負どころだ。気を引き締めてかからなければ。
やや緊張しながら、意を決して口を開く。
「昨日は本当に、危ないことしたと思ってる。赤信号で渡っちゃいけないなんて、子どもでも知ってる当たり前のことだよね。クラクション鳴らされてヒヤッとしたし、道路は本当に気をつけないとなって、身に染みたよ、それで……」
対面で説得してやると意気込んだくせして、いざとなると視線は合わせられなかった。
目だけでチラリと見上げたところ、精市は微笑みながらじっと耳を傾けてくれている。
「あの場では、ついその、口答えっていうか、素直じゃないこと言っちゃったけど、逆らおうってつもりじゃなくってね? 自分が悪いって、ちゃんとわかってるから……危険なことはもうしない、絶対」
私の一言一言に、精市が大きくうなずいている様子が視界に入る。
感触は悪くなさそうだ。
「反省してるよ、ごめんなさい精市。だからもう、今日はこれで、許して、ほしいなって……」
すべてを言い終え、おずおずと顔を上げる。
「わかったよ」
降ってきた声は、穏やかだった。
よかった、伝わったみたいだ。
ホッと息をつくが、精市の言葉はそこで終わらなかった。
「がお仕置きを受けたくないってことが、よくわかった」
……いかん、伝わらなくていいことまで、伝わっている。
「えーと、それもあるけど、そうじゃなくて……」
「」
精市は毅然とした態度を崩さなかった。
「信号無視なんて誰でもやってるからいい、だったっけ」
自分の言い訳を目の前で復唱されるとキツいものがある。
居心地が悪いというか、穴があったら入りたいというか。
「その話は、もう……」
「ずっとその話をしてるんだよ」
ぴしゃりと言われ、黙り込むしかない。
「本心で言ったのかい?」
……やっぱり、建前的な反省文じゃダメだ。
正直な気持ちを言わないと、精市も私も不完全燃焼になる。
ふぅ、と息をひとつ吐いてから、再度口を開く。
「…………半分半分、くらい」
「半分?」
「……車が来てないときに信号無視するくらい、ついやっちゃうでしょっていうのは、本音だよ。だけどね、昨日のは良くなかったっていうのもわかってる。止めてくれて感謝してるし、気をつけようって思った。でも、こんなに怒られるほど極悪非道なことをしたってつもりは、ないというか……」
「なるほどね」
精市が少しだけ表情を緩めた。
「の言いたいことはわかるよ。それでも俺はやめてほしいんだ。大事なに、何かあってから後悔したくないからね」
両手を取られ、包み込むようにそっと握られる。
大きな掌が、じんわりと温かい。
「心配だから叱るなんてエゴかもしれないけど、これだけは譲れない」
精市は曇りのない瞳で私を見つめた。
逸らしたくても逸らせないくらい、まっすぐに。
ありがとうとごめんなさいの感情が素直に湧き上がる。
完敗だ。
そんな愛情見せられたら、聞き入れるしかない。
やだな、なんか、泣いちゃいそう。
これはどういう感情のせいだろうか。
怖いから? 恥ずかしいから?
いや、それだけじゃないな。
たぶん、嬉しいからだ。
「わかってもらえたかい?」
唇を固く結んで、ゆっくり頷く。
「じゃあ、もう少しお仕置き続けるね」
抗う気持ちなんて消え失せていた。
膝に戻ってお仕置きの体勢を作ると、もう一度下着を下ろされる。
すでにヒリヒリしているお尻へ、厳しい平手が落ちてきた。
本当に嫌になる。
全然反省してないんじゃないか私。
そりゃ謝っても伝わるはずない。
だって上辺だけなんだもの。
「……っ、ごめんな、さいっ…………」
自分の薄っぺらさに涙が滲んだ。
昨日精市の話を聞いて、叱ってくれることにありがたさを感じたんじゃなかったのか。
それなのに、目先のお仕置きから逃れたいがために、口八丁で煙に巻こうとしてばかりで。
呆れられたっておかしくない。
心からの反省というものは伝わるようだった。
ごめんなさいを連発したわけでも、号泣しているわけでもないのに、手が止められる。
そして精市が静かに問いかけてきた。
「、反省したのかい?」
「……反省、した……ごめんなさい……」
「昨日の口振りじゃ、直す気がなさそうだったけどな」
チクリと言う精市に、鈍い動きで首を横に振って答える。
「直すよ、ちゃんと直すから……」
「本当?」
「うん……」
「じゃあ、信じるよ」
精市はそれだけ言って頭を撫でてくれた。
体を起こし、ほんの少し浮かんだ涙を指先で拭っていると、背中に手を回された。
「今日はずいぶんしおらしいね」
「もう、そっとしておいてください」
グイッと押し返して突っぱねる。
我ながら可愛げがないと思ったけども、気持ちのおさまりがつかなかった。
こんな精神状態でじゃれつけるほど図太くはない。
精市はそれでも手を伸ばしてくる。
「やだやめて、今そんな心の余裕ないから」
「いいから遠慮しないで」
「遠慮じゃなくてさ、ちょっと精市っ……」
もはや力づくでも引き寄せてやると言わんばかりに、無理やり横から肩を抱かれる。
精市の腕の中にすっぽりとおさまってしまった。
「落ち込んじゃって、どうしたんだい」
澄んだ声が耳に心地よく、少し気持ちがほぐれる。
ため息とともに、心情がポロリとこぼれ出た。
「……私って、幼稚だね」
反省したと言っておきながら、悪あがきの言い訳で逃げようとして。なんと子ども染みているんだろう。
「そんなことない。はむしろ大人すぎるくらいじゃないかな」
精市は私の肩をトントンと叩く。
「もっと俺に甘えていいんだよ」
何を言うか。これ以上ないくらいに甘えてしまっている。
だから自己嫌悪に陥っているのだ。
上手い言葉が出ず、ただ首を横に振った。
精市が体の向きを変えて座り直す。
諦めて腕を離したのかと思いきや、正面から抱き寄せられた。
「これならどうだい?」
背中と後ろ頭に手が添えられ、全身を柔らかく包まれる。
どうだい? ってそんな、必殺技みたいに。
事実そうだったのかもしれない。
喋る気なんてなかったのに、ひとりでに口が開いていた。
小声で、精市、と切り出す。
「……今日、素直に受けられなくて、ごめんなさい……」
お仕置きのほうが自分に合ってるなんて、よく言えたものだ。
これじゃ精市も、叱り甲斐がないと思ってしまっただろう。
じわっと、目の奥が熱くなってくる。
「……でも、もう、ほんとに、ちゃんと……」
スッと精市の体が遠ざかった。
どうしたのかと上を見ると、ばっちり視線を捉えられる。
「はとっても素直だよ。俺の話、真剣に聞いてくれてありがとう」
やだ、至近距離で涙を見られた。
顔を隠してたから言えたんだぞ精市、こんなの卑怯。
だけど、精市が微笑んでいると知ってすっかり安心してしまったから、食ってかかる気にはならなかった。
目を見つめているうちに、勝手に頬が緩んでいく。能天気もいいところだ。
再び抱きしめられたときにはもう、されるがままで精市の肩にもたれかかっていた。
<あとがき>
今回のお話には、お題箱でいただいた以下の話題を入れています。
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立海メンバー、男の子なので幼少の頃お仕置き体験があったりするのかな?思い出話を聞く(聞きたがる?)彼女もいいなあなんて。彼らのおしりぺんぺんが多少親の受け売りになってたりしたら面白いです。
---------------
というわけで幸村くんに経験者になっていただきました。
会話の一部となったので、少ししか入れられなくてすみません。
(そして設定的に苦手だという方は誠に申し訳ございません!)
私としては、おかげさまでいろんな妄想ができてとても楽しかったです。
ありがとうございました!
そもそもこの回では翌日延期エピソードにするつもりだったので、スパにまつわる会話のシーンを想定していたのです。
さんにも、きちんとお仕置きだと認識されたお話でした。
19.01.16 UP